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思考だだ漏れ読書録

とあるブログ書きの読書記録。

スプートニクの恋人/村上春樹

村上春樹全作品 1990?2000 第2巻 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人

村上春樹全作品 1990?2000 第2巻 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人


小学校教師である主人公の「ぼく」、ぼくの友人である「すみれ」、そして「ミュウ」。三人は、すみれのミュウに対する恋をきっかけに、それぞれが別の、大事ななにかを失っていく。失ったものは、二度と回復されることはない。そういう物語。
村上春樹は、この作品で「ムラカミ的文体」を出し切ってしまうことを意図していた。実際、これでもかというくらい、いかにも村上春樹的な比喩が書かれる。
それだけではなく、さまざまなモチーフについても、過去のムラカミ作品を彷彿とさせるものが登場する。例えば「ぼく」「すみれ」「ミュウ」の三者のありようは、どことなく『ノルウェイの森』における「ワタナベ」「直子」「レイコ」を想起させる。明確に描かれる「あちら側」と「こちら側」のイメージは、『羊をめぐる冒険』のものに近い。「あちら側」「こちら側」については、従来の作品と比べても自己言及的に描かれる。というか作品にそのまんま「あちら側」「こちら側」という言葉を頻出させている。
読みようによっては救いようのない物語だ。ラストの解釈は分かれるだろうが、

そしてまたぼくは、いつか「唐突な大きな転換」が訪れることを夢見ていた。たとえ実現する可能性が小さいにしても、少なくともぼくには夢を見る権利があった。もちろんそれは結局、実現することはなかったのだけれど。

という直前の描写を見る限り、夢の中の出来事だったのではないかと思う。
現実という言葉が頻出しているが、その現実とは「こちら側の現実」ではなく「あちら側の現実」だったのかもしれない。ラストの「ぼく」は「あちら側」にいるのかもしれない。
あまりに救いがないので、他の人の書評も貼っとこう。
スプートニクの恋人