思考だだ漏れ読書録

とあるブログ書きの読書記録。

国境の南、太陽の西/村上春樹

村上春樹全作品 1990?2000 第2巻 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人

村上春樹全作品 1990?2000 第2巻 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人


人の記憶は現実そのままではありえない。記憶は意識的・無意識的な判断によって選択される。また、記憶には事後的な脚色や歪曲がつきものだ。

そのようにして記憶は現実と段々ずれていく。しかし同時に記憶は現実の支配下にある。人は己が現実だと思っている物事の範囲内で記憶を構成する。例えば花が好きな人の記憶には花が、マーライオンが好きな人の記憶にはマーライオンがより多く登場するだろう。その人にとっての現実の範囲内で記憶は形成されていくわけだ。

そしてそのようにして作られた記憶は、自分という物語とほぼ等しい。誰もが多かれ少なかれそのようにして生きている。

誰にでも忘れたい記憶の一つや二つはあるだろうけれど、基本的には悪い記憶でさえその人の存在を支えていると考えた方がいいだろう。別に「苦労するほど人は成長する」というような美辞を述べたいわけではない。どこまでいっても苦痛しかもたらさない記憶というものは確かに存在する。悪い記憶が悪いやり方でその人の存在を支えるということも有り得る。

そういった記憶と向き合うための正攻法といったものは基本的にない。少なくとも僕は知らない。マニュアルのない問題。いわゆる「学校では教えてくれない」というやつだ。

それは人生に正解が存在しないことと同根の問題だろう。だから人は、それぞれのやり方で記憶との向き合いかたを探さなくてはならない。