rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

猫とあほんだら/町田康

猫とあほんだら

猫とあほんだら


 「猫にかまけて」「猫のあしあと」の続編となる、町田康の猫エッセイ。他にも著者は「スピンク日記」という、犬のスピンクを主人公にしたエッセイ調の本を書いている。
 今作の冒頭、引っ越し先を探して物件めぐりをしていた著者が、ある古びたペンションで二匹の仔猫を拾う。生まれたての仔猫を救うために町田夫妻は右往左往。なんとか仔猫の命を取り留める。
 仔猫は助かったものの、今度は引っ越し作業に四苦八苦。町田家で飼っている4匹(というか4人)の猫は人になついているが、引き取り手が見つかるまで預かっている6匹(というか6人)の猫は、野良時代に人間にいじめられたりした経験のせいで、基本的に人になつかない。そんな彼らなので、引っ越し先に移送するためにケージに入れるだけでも大仕事なのである。
 さらに、引っ越し先の家に猫用スペースを設ける為に一悶着、さらにさらに猫が逃げ出す、猫がみまかる、猫が徳利を引きずる、猫がグッチのセーターで寝床を拵えるなど、猫によって起こるハプニングには事欠かない。

 エッセイ等を読む限り、著者はかなりの時間と労力を犬や猫のために費やしている。なぜだろうか。好感度アップ?仕事を貰うため?と勘ぐるには、この方法はあまりに効率が悪すぎる。自宅に犬・猫を飼うよりもっとお金儲けになる方法はいくらでもある。
 著者は犬や猫を家族として扱っている。猫に関しては「師匠」と呼び敬っている。というかこの文中で何度も犬・猫と書いているが、著者はそのような呼び方をあまり好まない。彼らにはちゃんとした名前があるからだ。もちろん、犬・猫という言葉を使うべき所では使っている。
 オマケに彼らは、みな人間の都合で引き取り手が無くなってしまった犬・猫達である。そんな彼ら・彼女らが目の前にいて、引き取るか引き取らないかの選択肢を突きつけられたら、引き取る他に方法はない。著者は、いわゆる「動物愛護精神」のようなものの為に犬・猫を保護しているわけではなく、今作に描かれているエピソードのように、偶然出会った動物達を、当然のこととして保護しているうちに、自然に引き取り手の無い犬・猫が集まるようになったのだろう。

 師匠である猫が教えてくれることとはなんだろう。著者いわく、「自分を甘やかせ」であるという。
 誰もが生きづらさを感じていると言われるこの時代。あるいは猫達にとっても受難の時代なのかもしれない。しかし、著者の目に映る猫達は生きづらさとは無縁である。なぜだろう。彼らはどんなときも利己的・充足的に見える。わかりやすい言葉で言えば、「今を生きるのに一生懸命」だ。
 そこには現代人が生きるヒントが…と大言壮語なことを言いそうになったが、どうも猫達にそんな言葉は似合わない気がする。
 猫達は生きている。人間達も生きている。大体においてそういうことなんじゃないかナーと、僕なんかは思います。ハイ。