rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

小説の誕生/保坂和志

小説の誕生

小説の誕生

 すべての言葉は、文脈に依存する。文脈から自由な言葉は存在しない。例えば、ブッダの言葉は、ブッダの人生に依存している。
 だから、もし言葉を学びたいと思ったら、言葉とその言葉の意味というワンセットを、辞書的に暗記しても何の意味もない。
 重要なのは、ある言葉がどのような文脈で用いられるかということであって、だから、言葉を学ぶためには、なるべく多くの文脈を学ぶことが必要なのではないかと思う。
 文脈を学ぶ、というか、文脈を知る、具体的には文章を読む、話を聞くなどして、文脈を自分の中にインストールし、その中から言葉を選び出す、というプロセスを経て、人は言葉を使うことが出来るのではないだろうか。多分。
 上に書いたことの「言葉」を「考え方」に変えても同じだと思う。
 もし、自分の思考法をより豊かなものにしたいと思うなら、「良い考え」だけを学ぼうとするのではなく、まずとにかくいろいろな「考え方」に触れ、「人がどのように思考を組み立てるのか」というプロセスを学ぶべきなのではないかと思う。つまり、よりメタの見地に立つべきなのではないだろうか。

 この本を読んでいたら、そんなことが頭に浮かんだ。
 この本に満ちているのは、著者が言う所の「小説的思考」だ。小説的思考とはなかなかメンドくさいものらしい。
 なにしろなかなか結論に達しない。というか結論らしきものが存在するのかどうかさえよくわからない。それに、小説的思考をしたからといって、お金が儲かるわけでも、女にモテるわけでもない。
 しかし、そのようなプロセスを経なければ、つまり現世的な御利益から離れなければたどり着けない問題というものがこの世には存在する。きっと存在する。そのような問題に対して、「ある種の小説家たち」は「小説的思考」でもって挑んできた。より普遍的に言い換えれば、「ある種の人々」は「小説的思考的思考」でもって挑んできた。

 果たしてこの本は、小説的思考は、何かの「役に立つ」のだろうか?例えば、この本を読めば小説が書けるようになるのか?それはわからない。
 しかし、少しでも小説的思考というものに興味があるなら、何かしら得るものがあるに違いない。
 なにより、困難に挑む著者の姿勢そのものがスリリングでエキサイティングな一流の読み物であると、あえて断言したい。断言しちゃいたい。