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思考だだ漏れ読書録

とあるブログ書きの読書記録。

9条どうでしょう/内田樹,平川克美,小田島隆,町山智浩

 昨2012年に、自民党が憲法改正草案を発表した。
 seisaku-109.pdf
 なんだかいやな感じである。国民の権利を縛り義務を増やそうとしているように見える。っていうか、自民党の議員が実際そのような旨の発言をTwitter上でしている。コワい。
 私には政治がわからぬ。憲法もわからぬ。でも、文面を読むと、ほんとうにこの草案の通りに憲法を改正(改悪?)してしまったら、日本はもっと住みづらい国になってしまいそうだと感じる。


 そんな2012年に、文庫版として再発売された『9条どうでしょう』を手に取ったのは、『辺境ラジオ』というPodcastで、内田樹がこの本の話をしていたからだったりする。
MBSラジオ1179ポッドキャスト | 内田樹&名越康文の 辺境ラジオ

9条どうでしょう (ちくま文庫)

9条どうでしょう (ちくま文庫)


 四人の論客がそれぞれ憲法9条について語っているこの本。もちろんそれぞれに主張が異なる点もある。
 彼らの主張に共通している点を探るとすれば、それは「憲法とは現実を追認するものではなく理想を謳うものである」ということではないだろうか。


 改憲派の人々は、「憲法が(時代の変化によって)現実にそぐわなくなってきている」と主張する。
 9条を改正せねば、北朝鮮がミサイルを撃ってきた時に国を守れない、と言う質問に対して、内田樹は言う。

 たしかに北朝鮮が攻めてくるようなことがあると、とても困る。
 私も困るし、あなたも困るし、たぶんキム・ジョンイルも困る。
 「みんなが困る」ような外交的オプションは選択される確率が低い。だから心配するには及ばない

 と。
 僕の認識が間違っていなければ、これに続いて内田樹が言っていることを要約すると、

  • 軍備を拡張するよりも、戦争放棄を掲げて国防をアメリカに頼る方が、実際に攻め込まれるリスクは低い
  • もし実際に攻め込まれて、アメリカが日本を見捨てたとしたら、日本は復習に燃える非常に危険な国家へと変貌するだろう

 となる。
 前者は、そう言われてみると、かなり蓋然性の高い予測であるように思える。というか、大体の国民が「まさか北朝鮮が攻めてくるわけないだろう」と思っているだろう。
 反戦平和の国家というと、攻め込み放題・侵略し放題に見えるが、攻め込んだ時に他国から批判が集まる危険も、それだけ高まる。男を殴るより女を殴る方が、道徳的な罪は重い。
 もちろん、戦国時代のように群雄割拠・弱肉強食な世の中だったら、暴力反対などとのたまっていては秒速で占領されてしまうわけだが、今のところの世界情勢・アジア情勢はそういうところまでは至っていない。一応。
 後者の話は、ちょっと妄想じみている感もある。しかし、もし今、日本がアメリカに見捨てられたら、戦中の大日本帝国に逆戻り、というのも、ありえなくないかもしれない。特に石原なんとかや橋本なんとかや、希望は戦争とか言っていた世代を見ていると。


 つまり何が言いたいかというと、「現状においても、憲法が掲げる理想は、現実をよりよいものにするための役割を十分に果たしている」ということを彼らが言っているのではないか、ということを私は言いたい、ということである。と、無駄に文章を入れ子構造にしてみたんだけど、どうだろう?どうもこうもないか。
 何度も言うように、政治のことはよくわからないが、彼らのキレのいい論考には、憲法について、そしてこの国の未来について考える上での示唆が、大いに含まれていることは間違いない。うん、間違いない。