rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年/村上春樹

 買った夜に徹夜で読んだ。あまり好きなことばではないが、いわゆるところの「イッキ読み」である。以下それなりにネタバレ注意。






村上春樹の「新しい」小説

 『1Q84』の三人称を、さらに押し進めたような小説だ。とにかく無駄がない。全てのぜい肉を削ぎ落とし、骨と、必要分の筋肉と、皮だけの身体。春樹的表現の濫用は良くない。
 以前村上春樹は『スプートニクの恋人』についてのインタビューで「徹底的にネジを締める小説」と語っていたが、今作も「ネジを締める」小説なんじゃあないかと、読みながら思った。
 『1Q84』同様、過去の村上作品と似たようなモチーフが、今作にも登場する。『羊をめぐる冒険』で鼠に取り憑いた「羊」を思わせるような何か。夢の中の性交(今作ではかなり明確にそれが「性夢」であるとして描かれる)。消えてしまった女性。「悪いこびとたち」。
 それらはオマージュというより、繰り返し語られるべきモチーフだからこそ、繰り返し語られるのだろう。「大事なことなので二度言いました」というやつである。
 もちろん、と言うべきか、過去作には無かったモチーフ(モチーフということばの濫用)もちゃんと登場する。
 まず、つくるの高校時代の友人関係が五人組だったという点。村上作品における人間関係というと、男と女の二人組か、ノルウェイの森の「僕−キズキ−直子」あるいは「僕−レイコ−直子」に代表されるような三人組がほとんど全てだった。このへんは、社会というものの最小単位が三人組であるということが関係しているのかな、なんて思う。
 それが今作で五人組になったことは、それなりの変化である。おそらく、重大な、という程ではないと感じた。五人組ではあるが、五人が集まった描写はそれほど多くないし。そういえば江戸時代には「五人組」という制度があったなぁ、ということを少し思い出した。

六人目の男

 それから、五人組とは別の、もう一人の男の存在。ここは一応名前をぼかしておこうかな。自分でも基準がよくわからんけど。
 村上作品においては、特殊な女性が、主人公である男性の心の傷、のようなものを(大体の場合セックスを通じて)受け止め、そして去っていく(死んでいく)というモチーフが頻出する。
 そのへんのことは、男目線で見ると「ああ、ファンタジーだなぁ」で済ますことが出来るのだが、いや、100%納得できるというわけでもないんだけれど、まぁそれなりにスンナリと受け入れることは出来る。
 しかし、あるタイプの人種はそこを見逃さない。というか端的にいえば、フェミニストがブチ切れる。上野千鶴子先生が大噴火するのである。私事だが、ウチの母が村上春樹を毛嫌いしているのも、その辺のニオイを敏感に嗅ぎ取っているからなのかもしれないなぁ、などと想像している。もちろんそれを口に出して指摘したりはしない。出来やしない。
 批評家の宇野常寛はそういったモチーフを指して「レイプ・ファンタジィ」と表現した。ところでなんで「ジィ」なのかね。カッコつけたのかね。
 しかし今作ではその「受け止める側」の役割の一部を、男性が担っている。これも結構大きな変化。
 きっと村上春樹のことだから、「小説の中で自然に起こった変化です」みたいなことを言って煙に巻くんじゃないかという気がするが、案外自分に対する批評を気にしているのかもしれない。あるいは近しい人から指摘されたとか。いや、やっぱり無いか。
 必然的に話は同性愛の部分に踏み込んでくる。同性愛というよりは、思春期に起こりがちな混乱、とでも呼んだ方がよさそうだ。いずれにせよ、展開としては腐女子歓喜、なのだろうか?でも腐女子の雑食性を考えれば、鼠とか五反田くんでも全然イケてたんだろうか?とどうでもいいことを考えたり。

とにかく上手い 当たり前だけど上手い

 それにしても、村上春樹はやっぱり「上手い」。深く傷ついた人間の描写が上手い。男性の、女性に対する欲求・欲望の描写が上手い。あと、「社員教育をする会社」の説明が上手い。以前内田樹が、村上春樹の「説明上手」を評価していたが、今作にもそれが現れている。よりシンプルな描写が多い今作では、その上手さが特に際立っている。
 ただ、コンピューターについての描写はイマイチだと感じた。グーグルやフェイスブックを登場させたときは「おお」と思ったが、「キーボードをクリック」というワードが出てきたときは思わずツッコまざるを得なかった。あるいは海外ではそういう表現をするのだろうか?


 前作同様、今作もまた非常によく売れている。ニュースによると100万部を突破したとか突破しそうだとか。
 これだけ売れていれば、日本の中で何かが変わってもおかしくないようにも思える。しかしパッと見ではそのような兆候は見られない。新宿駅のラッシュは相変わらずだ。
 そんな大きなことを考えるより、まずは自分自身の生活をしっかりしていこう。いきたいな、と思った。この本を読んで。

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年