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思考だだ漏れ読書録

とあるブログ書きの読書記録。

世界音痴・もうおうちへかえりましょう・短歌という爆弾 / 穂村弘

 ブルボン小林の「ぐっとくる題名」という本を読んだ(もうすぐ文庫版が発売するが、その前にオリジナルの新書版を読んだ)。そのなかで、穂村弘の「世界音痴」という本が、ぐっとくる題名として取り上げられていた。

増補版 -  ぐっとくる題名 (中公文庫 ふ)

増補版 - ぐっとくる題名 (中公文庫 ふ)

 穂村弘という名前には聞き覚えがあった。高橋源一郎の「日本文学盛衰史」に登場する短歌が、彼によって詠まれたものだったからだ。

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

世界音痴

 「世界音痴」を読んでぶっ飛んだ。ちょっと尋常じゃないくらい面白かったからである。これほど面白いエッセイは、町田康のエッセイを読んで以来だと思う。

 面白いだけでなく、内容が全くタメにならない。回転寿司ばかり入ってしまうとか、夜中にベッドの中でパンをかじってしまうとか(描写を読むと、どうやらpha氏が「ダメ人間パン」と呼んでいたパンと同じものらしい)、ものすごくどうでもいい。どうでもいいのに面白い。そしていちいち共感してしまう。

 内容自体はダメ人間のそれであり、しかもどこかキザったらしくもある。しかし言葉だけでイメージを喚起するパワーが、文章から溢れでている。歌人、スゲェ、と思った。ページをめくりながらふるふる震えたりした。

 私を含めてマイナスの存在感をもつ者の多くは、心の奥で「談笑したり」「ガッツポーズしたり」することなく、しかし「存在感を示したい」という願望をもっていることが多いと思う。そのために「この世界」のルールに順応することができない。ルールから「はみ出して」存在感を示したいとは、傲慢な上に叶うはずのない望みではある。だが、わたしはそれが単純な誤りだとは思わない。「この世界」からはみ出してしまっていることに苦しむのには意味があり、その中からだけ生まれてくるものがあると信じている。たとえば、すべての詩はそこから生まれてくるのではないか。だからこそ、マイナス星人はマイナス星人としての生をまっとうするしかないと思うのだ。

もうおうちへかえりましょう

もうおうちへかえりましょう (小学館文庫)

もうおうちへかえりましょう (小学館文庫)

 続編エッセイの「もうおうちへかえりましょう」も読んだ。こちらはエッセイに加えて、評論的な内容を含んだ本となっていた。特に僕の心を惹いたのは、村上春樹について言及していた部分である。

 この本が出た一九八三年に私は二十一歳の大学生だった。『カンガルー日和』に収められた「4月のある晴れた日に100パーセントの女の子に出会うことについて」や「タクシーに乗った吸血鬼」や「とんがり焼の盛衰」や「スパゲティーの年に」や「かいつぶり」を、なんでこんなにも素敵にうまく書けるんだ、と驚きながら読んだ。(中略)

 そんな自分の気持ちを今振り返ってみて、村上春樹は本当に罪深い存在だと思う。当時は全く自覚はなかったが、「なんでこんなにも素敵にうまく書けるんだ」という感慨の核にあったものを考えてみるなら、それは作者、読者、登場人物といった、いわば作品関係者全員の自意識を守り、誰も傷つけず、みんなが気持ちよくなるという離れ技に対する驚嘆にほかならない。

 春樹の滑らかで快適な世界を知ることで、現実の自分が傷つくことや他人を傷つけることに対する怖れは増大した。関係者全員の自意識を守り、誰も傷つけず、みんなが気持ちよくなれるなら、それに越したことはない。

 だが、同じことを自分がやってみようとすると、日常生活においても表現においても、そんなことはできっこないのだった。わたしは絶望的な気持ちになった。そしていくら自分には無理だと思い知っても、村上春樹の「素敵さ」に本当に替わるだけの強度をもった価値観と出逢うまでは、その呪縛は続くことになる。私には春樹以外の作家のなかにそれを見出すことができなかった。

 僕は村上春樹の愛読者だが、この「村上春樹は誰の自意識も傷つけない」という分析にはうなずかざるをえない。村上春樹が描く世界は優しい。でも、世界は村上春樹的には出来ていない。それを「呪縛」と呼ぶべきかどうかは僕にはわからないけど。穂村弘がその呪縛から自由になれたのは、ブルーハーツのおかげだそうだ。

短歌という爆弾

 「世界音痴」の前に出版された短歌入門「短歌という爆弾」も読んだ。短歌には明るくないので読むのに苦労したが、がんばって全部読んだ。

 自分が国語の授業で短歌というものを知ったときは「文字数が決まってるなんて不自由だな」としか思わなかった。でも、少なくとも穂村弘にとっての短歌は、暴れる自意識を定型に収めることで世界を変えるツールだったらしい。

 果たして本当に本書に書かれている通り、原則31音の言葉に「魂」のようなものが宿ったりするのだろうか。僕にはまだよくわからなかったが、短い言葉にすら、あるいは短い言葉だからこそ、伝えうるものがある、ということはよくわかった、つもりである。

 14年前の本なので、今から短歌を始めようという人が読んでどれほど参考になるのかはわからないが、例えば「言葉というものが細かい言い回し一つでどのように意味が変わるか」というようなことに興味がある人には、ぜひ読んで欲しい本である。

 せっかくこのような本を読んだのだから、僕も短歌を作ってみることにした。爆弾にはなりそうもないが、けっこう楽しいかもしれない。

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