思考だだ漏れ読書録

とあるブログ書きの読書記録。

サブカル・スーパースター鬱伝 / 吉田豪

サブカル・スーパースター鬱伝 (徳間文庫カレッジ)

サブカル・スーパースター鬱伝 (徳間文庫カレッジ)

 サブカルの人は40歳近くで鬱になりやすいのか?というテーマで、同じく40手前のプロインタビュアー・プロ書評家、吉田豪が行った、サブカル界のスーパースターたちへのインタビュー集。

 前々から思っていたことだが、サブカル、というのはずいぶんあいまいな言葉で、もともとはメインカルチャーへのアンチとしてのサブカルチャー、という立ち位置だったのだが、サブカルブームというものがあったらしく、サブなのにブームとはこれいかに?みたいなことになっている。そんな話はさんざん出尽くしているだろうけど。

 その結局サブカルは「他人と違う俺カッコイイ」を演出するための道具に堕してしまった面はあるのかもしれない。本来はメインなものにどうしても馴染めない人間の心の拠り所だったのに。

 とはいうものの、人間の心に生じる「俺カッコイイ」と「心の拠り所」という二つのサブカルニーズは、両極にあるものでもなければ切り分け可能なものでも無く、むしろコインのうらおもてのように一体なものなのではないだろうか。

 サブカルで病む原因がそのようなコンプレックスにあるのかどうかはわからないが(わからないんかい)、ともかくサブカルで生き延びていくことは容易では無いらしい。

 本書に登場する人々は、どこか世の中に馴染めない部分を持ちつつ、でも一方で非常に真面目な部分も持ち合わせていて、だからサブカルの分野である程度の成功を収めたのだろう。

 しかし真面目すぎるゆえに、メジャーになっていくことへの葛藤、メジャーになったからといって全てが思い通りになるわけではないことへの葛藤、そして年齢的な衰えによって病んでいるようにみえる。

 そんな彼らが今日まで生き延びられたのは(事故で亡くなった方もいるが)、時に愚直に、時にマイペースになにかをやり続けたこと、あと何かハマれるものを持っていた(オ○○ー、セ◯◯ス、アイドル、等々)ことが大きいようだ。と書くとちょっと教訓じみているだろうか。

 かつてはサブカルと呼ばれていたような人たちが、現在は歌い手もブロガーもユーチューバーに流れているとしたら、彼らにも40前後に鬱がやってくるのかもしれない。そうなる前に、ぜひ読んでみてはいかがだろうか。サブカルとユーチューバーってすっげぇ食い合せ悪そうだけど。