rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

暇と退屈の倫理学 / 國分功一郎

 暇、とは。何もやることが無い状態。

 退屈、とは。現在の自分の状態に飽き足りない、という心の動き。

 退屈とはなんだ。贅沢な話じゃないか。世の中には、退屈なんて感じる余裕がない人もいるのに。

 でも多くの人が、きっと自分の人生の中で、様々な退屈を感じているだろう。だから一人一台スマートフォンなんてものが普及した。

 ところでなぜ、「退屈なんて贅沢だ」という声がどこからともなく湧いてくるのだろう。誰が決めたわけでもないのに。他人は他人なのに。


 そんな暇と退屈に対して、我々はどう向き合うべきか、という本が『暇と退屈の倫理学』。倫理学とは、一般に「人はどう行動すべきか」を考える学問。

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)

 退屈には三つの形式があり、第三の形式の中から人は自分の可能性を見出すことが出来る、というハイデッガーの議論が引用される。

 それに対し著者は、第一と第三の形式は、実質的に同じものなのではないかと指摘し、第二形式の中にこそ、人間の最も人間らしいあり方があるのではないか、と提唱する。

 そして退屈の中に楽しみを見つけ、何かを考える契機を発見することが、望ましい退屈との向き合い方なのではないか、とも。

 詳しい議論については直接本書を読んで頂きたい。とにかく情報密度が高い本だ。正直自分も全てを咀嚼し切れたとはとても言えない。

 本書の優れているところは、膨大な学術的引用を駆使した多彩な議論が展開されていること。そしてその語り口が大変わかりやすい。知的好奇心を刺激されっぱなし。

 そして退屈という、ともすれば軽視されがちなテーマに対する筆者の知的誠実さ・切実さが全編にうかがえる。それらの源泉はあとがきにて明かされる。

 学術的な本だと言うのに、書き出しが日常的なエピソードから始まるというのもニクい。一ページ目から引き込まれてしまった。


 考えてみれば読書という行為も、大いに暇つぶしの要素を含むものだと言える。

 そしていい本は、楽しさと考える契機を読んだ人に与えてくれる。もちろん本書もそういう本だ。なるほどそういう構造だったのか、と気づいた所で今日の暇つぶし(ブログ)はおしまい。