- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/09/26
- メディア: 単行本
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「アキハバラ発」斎藤環の項を本屋で立ち読み。多分前に読んだやつ。内容的には「コミュニケーション至上主義ってどうなの?」って感じ。
加藤被告(被告でいいのかな?)が「不細工」であることにこだわったのは、現代においてコミュニケーションの断絶が致命的なものであり、そのことを学校教育で繰り返し馴致されるからである。そして、彼がネット上で繰り返した自問自答もまた、自分という他者とのコミュニケーションであった。
僕があの事件のニュースに接して感じたことは、彼が持つ自身の容姿と恋愛に対するコンプレックスの強さだった。恐らく多くの人が同様であったろう。
確かに不細工で恋愛に縁遠かったかもしれないが、だからといってすべての人が絶望に至るわけではない。むしろ彼が自分の欠点にそこまで強くこだわったということが、彼の不幸の原因であったに違いない。
彼が単に自己愛の特別強い人間であったのかもしれない。あるいは貧困が彼の冷静な思考力を奪い去ったのかもしれない。
しかし、「貧乏で不細工で女にもモテない男は、何もしないより他人を殺して自分も死んだ方がマシだ」と彼が思ったのはなぜだろうか?
過去にも似たような動機の犯罪は恐らく存在しただろう。だが、派遣労働、ネット、学歴などのキーワードから、紛れも無い現代社会の問題点が浮かび上がっている。そして彼を英雄視する向きも一部で存在するらしい。つまり彼に似た境遇の人々が多数存在しているということだ。
そういった社会的弱者の増加原因を、社会制度の不備に求めて派遣村やベーシック・インカムの議論なども行われている。だが現在の政治に関するニュースの主題は民主党の不手際と米軍基地の問題だ。貧困層の国に対する不満は高まってきているのではないだろうか。
と、なんだか新聞に社説を投稿するおっさんみたいな文体になってきたのでちょっと戻そう。
ともあれ彼の絶望は単に個人的なものではなく、社会的な要因が大きく絡んでいるのは間違いない。
例えばそれを日本の経済的行き詰まり、端的にいって不況のせいにしてしまうのは簡単だけれど、もっと深いイデオロギー・社会通念の問題が関わっていると僕は思うし、多くの人々も思っているだろう。