- 作者: 津村記久子
- 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
- 発売日: 2008/07/01
- メディア: 単行本
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不肖、わたくしは読書が好きであります。
なぜ好きか、その理由を縷々書き綴っていては、モーニングがカミングしてしまうゆえ、大幅に省略したいと思います。
わたくしの読書歴のエポックメイキング的な本は、夏目漱石の「こころ」なのであります。
あれを大学の確か二回生、と呼べばいいのか二年生、と呼べばいいのかイマイチよくわからないけれど、ともかく二十歳くらいの頃に読んだ私は、そらぁもう天地がひっくり返るくらい感動しました。島下。ちょっと遅いんですけどね。
なぜそんなに感動したか、ということを今のわたくしが分析いたしますところによりますと、まぁ単純に裏切り、裏切られ、死に、死なれ、愛し、愛され、そういった人間関係の重大事件について、主人公や先生が煩悶する、思い悩む、そういう部分にあったと思うんですね。
そういうことを考えたがるのが青春というもので、僕もそのご多分にもれなかった。過去形で言っているが今ももれていない可能性は否定出来ない。ってわしゃパンパースか。
まぁまぁそういった青春の悩み的なものはあまり公に言いまくったりしないのが人としてのマナーであるとされている。なぜかは知らないがそうなっている。まぁ町中に太宰治みたいな人が溢れていたらロクなことにならないからだろう。
だけど人はその生活の折々に疑問を持つ。まるで中学生が「俺の○○ニーっておかしいんじゃね?」と不安を抱くみたいに。
自分の考えは間違っているんじゃないか、こんなことを考えるのは自分だけなんじゃないか。
そんなことを考えるとき、人は絶望的なほどの孤独感に苛まれる。どうでもいいけど僕はパソコンが無いと「苛」という字を書ける自信がない。
孤独を乗り越えるたった一つの方法は単純で、わかりあえる人と出会うこと。それだけだ。あるいは人に限らず。
小説はありとあらゆる考え、状況、行動などを描写できる。もちろん字だけで表現できないことは存在するが、逆に字だけであることによって、読者の想像力を借りて非常に多様な表現が可能だ。
読者は様々な表現の中に、孤独なこころと共鳴する部分を見つけ出し感動を覚える。
そう、あらゆる小説は、時に作者の命をかけた壮大な「あるあるネタ」なのである。
と言いきってしまっていいのか無能な僕にはわからないけれど、確かなのはこの小説が僕のこころと多大な共鳴をひきおこしたことだ。
そしておそらく数多くの読者との共鳴が可能な力を、この小説は持っているんじゃないかと、不肖わたくしは考えている次第にございます。