村上春樹全作品 1979?1989〈7〉 ダンス・ダンス・ダンス
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1991/05/16
- メディア: 単行本
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「文化的雪かき」
昔とある評論家が「セックスと死を書いておけば文学になる」と言っていた。
間違ってはいないし、正しくもないと思う。セックスと死を書くだけで本当に小説が書けるなら、みんな小説家になっている。
それはいいとしてこの小説。まぁよく人が死ぬ。主人公は「僕はまるで死神みたいだ」と考えるが、まったくもってその通り。北斗の拳のケンシロウもびっくりである。
もちろんセックスもする。コールガールとセックスする。ネタバレになるが、ホテル嬢ともセックスする。ハワイでもする。十三の女の子とはしない。
セックスにうんざりしたりもするし、相手の存在を確かめるためにセックスする。セックスセックス。依存症ちゃうんか、と思う。
まぁべつにこの物語は村上春樹の脳内ワールドでの出来事だし、実際のセックスがそんな風に意味合いを持ちうるのかどうかを僕は知らないので文句は無いが。
ストーリーとしてはミステリー仕立てでもある。先の展開が手前である程度わかるストーリー。こいつ死んでんな、とか、こいつが殺したな、というのはまともに読んでいればある程度わかってしまう。
ってさっきから悪口ばかり書いているが、この文章のポイントはそこではない。いったん落としてから上げるパターンだ。
確かにこの作品は上に挙げたような要素を含んでいる。それは事実だ。でもそのこと自体がこの作品の質を下げているとは僕には思えない。
なにかというと「リアリティがない」だとか「反社会的だ」とか言って作品をけなす人々がいる。むしろそういう人々が多数派だったりする。
別に僕は、「そういうバカにこの作品はわからない」と言いたいわけではない。正確に言えばそう考えている部分もあるが、その考えが正しいとは思わない。
むしろ、「そういう表層的な批判を脇に置いといてから読んだら、小説はもっと面白くなるよ」と言いたい。誰かに言いたい。
じゃあこの小説の面白さは何か。
この小説は、「生きのこること」を描いている。「生きのこる」ことを羊男は「踊り続ける」と表現している。
というか村上春樹の長編はほとんどが「生きのこること」を描いて要るし、もっと言えば「小説とは生きることについて書かれたものだ」という格言もあったようななかったような気がするし、大体においてそれは妥当だと思う。
じゃあこの小説の主人公はどんな風に生き残っているのか。
それはこの小説を読んでみなければわからない。身も蓋もないが。
ただ、これもネタバレになるが、主人公はやはり生きのこること、こちら側にとどまることを選ぶ。
でも、村上春樹が「生きのこれ」と言っているわけではない。彼は水嶋ヒロとはちがう。
生きのこるということは、自分の周りの誰かが死んでいくのを見届けるということだ。そして人はいつか死ぬ。死は生に含まれている。
なぜそこまでして生きのこらなければいけないか。生も死もその理由を教えてはくれない。
もちろん、人は生や死から意味を引き出すことはできる。「今を生きる」とか「生きているってすばらしい」とか、そういう毒にも薬にもならないような意味を。
でも、やはり生や死はそれ自体の意味を持たない。死人が語らないのと同じことだ。
それでも人は生きのこる。だから生きのこることを描いている。そういう小説。
んー、内容が薄いレビューになってしまったが、今の僕にはこれが限界。