図書館でたまたま手に取ったこの本。
- 作者: 筒井康隆
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2001/12/05
- メディア: 単行本
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作家や批評家が、文学に関するあるテーマについて書いた文章をまとめたシリーズ。この本のテーマは『方法の冒険』。簡単に言えば小説の技法についての評論集。
興味深かった評論がいくつか。例によって敬称略。
まず筒井康隆の『超虚構性からメタフィクションへ』。
かつて小説、特に日本の純文学では「現実を模倣した虚構」が重んじられた。簡単に言えば、現実を上手く小説に落とし込んだものが「よい小説」とされた。
しかし、SFというジャンルが隆盛を極める中で、「虚構であることを前提とした虚構」が多く登場してきたことに筒井康隆は気づいた。現実の宇宙科学に反するようなSFが「良いSF」として読まれていることがその例だ。そしてそれはSFというジャンルが劣っているということを意味しない。
「虚構であることを前提とした虚構「を「超虚構性」と名付けた筒井は、「虚構の虚構性を批判的に扱う虚構」、すなわち「メタフィクション」と超虚構性を比較したとき、超虚構性は広義のメタフィクションに含まれる、と指摘する。
まぁこういう難しい話は本文を読んでもらうとして、筒井は「現実を異化効果のある言語で描写し、その日常を非日常の世界に異化する」ことに文学的価値を認めるべきだという。その「異化効果のある言語」の一つが「メタフィクション」であると言いたいのだろう。異化効果、なるほど。イカ効果ではない。
続いて筒井は自身が持つメタフィクションの構想を詳らかにしている。どうやら「こんなメタフィクションを書く小説家はおらんかね?」という理由らしい。
で、この本に書かれている構想は、ほぼそのまま筒井康隆の小説『虚人たち』で用いられている。
- 作者: 筒井康隆
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1998/02
- メディア: 文庫
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虚人たち - Wikipedia
Wikipediaを見ればわかるが、この小説は多くの実験的手法を用いて書かれている。「小説の字数と小説内時間の進行が完全に一致している」「登場人物が、自身が虚構内存在であることを自覚している」「主人公が全く無関係の二つの事件に巻き込まれる」などなど。
それらの手法とその意義について、筒井はこの評論に詳しく書いているのだ。
最初に僕が『虚人たち』を読んだのは、突然兄に手渡された時だった。とりあえず読んでみた感想は、「あまり面白くないけどなんか不気味な感じがしてスゴイ」といったようなものだったと記憶している。
それが実は複雑な技法を駆使した実験小説だったとはまったく気づかなかった。もう一度読んでみようと思った。
このペースで書いていると長くなってしまうのでスピーディーにいこう。
次に気になったのが、いとうせいこうの『ロールプレイング・ゲームと文学』。こちらは『ノーライフ・キング』の執筆動機について書かれている。
- 作者: いとうせいこう
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2008/08/04
- メディア: 文庫
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小学生の時、いとうは友人がRPGをプレイするのを見ていた。友人は画面に表示されるテキストを読み、ボタンを押してテキストを送る。友人の黙読にあわせてテキストを読むという、「新しい読書体験」がいとうの心に深く刻まれ、新しい文学の可能性をそこに見出すようになったという。
いとうが『ノーライフ・キング』で描いたのは「TVゲームと子供の変容」だったが、まさにその「読書体験」が強く影響していた。
RPGと文学、と聞いて思い出したのが、雑誌『ユリイカ』のRPG特集。
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 2009/03
- メディア: ムック
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RPGがすなわち文学であるかどうか、僕にはよくわからないが、TVゲームに文学性が認められることは間違いない。ユーザーが求めるのは、美麗なグラフィックや重厚なストーリーに限らない。重要なのは「豊かなプレイ経験」であると思う。小説に必要なのも「豊かな読書体験」だ。
それからもう一つ東浩紀の『脱構築から精神分析へ、そして文学へ』。
コレを紹介していたらほぼ丸写しになってしまうので省くが、ジャック・デリダの脱構築の再解釈を精神分析と関連づけて行っている。難解な「脱構築」をわかりやすく書いている(と思う)。
以前筒井康隆がエッセイで『東浩紀に「ポストモダン以降の文学」というテーマで原稿を頼んだら、「ポストモダン以降に文学はない」と言われた』というようなことを書いていたが、この本のことだったのだろうか。