rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

バイ貝/町田康

バイ貝

バイ貝


 買い物。人はなぜ、買い物をしなければならないのか?生きるため?そーゆーことを言っとるのではない。
 資本経済というものは単なる制度、システムである。それならば、現代の技術を最大限に駆使して、生きるために必要な物は無料で配布する、みたいな制度を作ることも十分可能であろう。
 そういった制度が出来さえすれば、「俺は一生買い物はしない!」と決意し、資本経済というものから完全に無縁な生活を送ることも、理論上は可能である。実際、アメリカにはフードスタンプ?とかいうのもあるみたいだし。
 しかし現状、そういった制度は採用されていない。よって我々は、手持ちの金銭の中から、生きるために必要な物を買う費用、生活するのに必要な税金、そして、「生きるのに大して必要のないもの」を買う費用を捻出せねばならない。あくまで「ねばならない」のである。



 本作は、町田康本人のエッセイのようであり、私小説にありがちな「著者本人をモデルにした小説家」が主人公という設定のようでもある。知っている人であれば、町田康がよくやるアレ、といった感じ。作風としては「東京飄然」「どつぼ超然」あたりに近いだろうか。あるいは、初期のエッセイを、最近の文体に合わせて、より長めにした、という感じもする。
 主人公である、もうすぐ50歳になろうという小説家は、仕事や日常によって溜まった鬱を、買い物によって散じようと目論見、ホームセンター、家電量販店等に赴く。しかし、一筋縄でいかないのは、町田作品のお約束。やがて主人公の妄想は際限なく膨らみ、それに比例して現実は空回り、どんどんぐずぐずな展開になっていく。
 上手くいかない原因は、どうやら主人公の「小物感」にあるようだ。鎌を購って庭の草をずばずば刈ったる、と意気込んでホームセンターに行くが、売っているのは3045円の鎌と280円の鎌。ここで彼は、妖鎌(妖刀の鎌版)がどうのと屁理屈を捏ねてが280円の鎌を買うが、要は高い方を買う金が惜しいというだけのことである。結果はお察しの通り。
 しかし、ここで彼のことを笑ってばかりもいられないのが読者である我々、っていうか僕である。もはや僕にとってこの作品は、「あるある」の域に達していると言っても過言ではない。


 とある休日の日、僕もまた本作の主人公同様、ホームセンターにいた。趣味であり実用でもあるクロスバイク用の、手袋を買おうとしていたのである。
 本来ホームセンターには、自転車用の手袋というようなシャレたものは売っていない。
 ではなぜホームセンターに行ったのか。それは、その日よりも前の日に、同じホームセンターへ自宅で飼っているカメのエサを買いに行ったときに、自転車用手袋にそっくりな作りの作業用手袋が、780円で売っているのを発見したのである。
 自転車用手袋の価格は、わりと大衆向けのサイクルショップ(なんとかベースあさひ)でも、最低で2500円程度する。もしこの作業用手袋を使えば、半額以下じゃないか…?
 そんなみみっちい野望を抱いた僕は、使用中の自転車用手袋に穴が開いてしまった折りに、780円の方を買いに行ったのだ。


 そんでもって、780円の手袋を買って使って思ったことといえば、「高いものには高いなりの理由があるのだなぁ」という、至極当たり前の結論であった。
 なぜそう思ったか。
 手袋を着用した状態で自転車に乗ると、ハンドルを握る都合上、生地がどんどん手首の方に行ってしまうため、指先が詰まったような感じになる。自転車用の手袋というのは、その問題に対応すべく、指先にかなり柔らかい素材を使用してあり、あまり突っ張りを感じないようになっているのである。そのせいで指先に穴が開きやすいというデメリットもあるのだけれど。
 ところが、作業用手袋の方には、当然ながらそういった配慮が一切無いため、指先がぎゅうぎゅう詰まって非常に不快であった。使っているうちに多少は慣れてきたものの、やはり違和感は拭い切れない。


また、つい最近iPod touchを買ったのだが、どのiPodを買うかでずいぶん悩んだ。
高ければ高いほど性能はよくなるわけで、究極的にはiPhoneが一番優れていることは(容量以外)間違いないんだけど、ガラケーと両方の使用料はらう余裕なんてないし…などと悩んだ結果、32GBのiPod touchに落ち着いたのだ。まぁ中途半端と言えば中途半端である。自分としては満足しているけど。


と、長々と自分の話をしてしまったが、つまり何が言いたいかというと、それくらい買い物というものは困難だ、ということである。うん。
あっちの店で買った方が安かったとか、ちょっとのお金を惜しんで役に立たないものを買ってしまったとか、買い物にまつわる失敗は誰にでもあるだろう。僕なんかとはケタが違うようなセレブの方々も、株がどうとか土地がどうとかで、案外似たような失敗をしてるんじゃなかろうか。知らないけど。
町田康は、そのような失敗に陥る人間のありさまを描こうとしたのではなかろうか。
 エッセイのように軽妙な語り口でありながら、冒頭のつかみ、そして結末の美しさは紛れも無い小説作品としての読後感を読む人に与える。ある意味では資本主義批判として、ある意味では個人の心の弱さの問題としても読める。なかなかにスゴいことをサラッとやってのけている、とてもスゴい作品だと思う。