下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/15
- メディア: 文庫
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自分の中で、「昔読んだ本を読み返したい週間」がやって来た。その読み返したくなった本がこの「下流志向」。
本書の論旨は明確である。
子どもたちが学ばなく、働かなくなったのは、資本主義的・競争主義的イデオロギーが子どもたちに浸透しきった結果、「学ぶのは・働くのは損だ!」と、子どもたちが、半ば無意識的に、考えるようになったからだ、というもの。
もちろん、それが全ての学ばない・働かない子どもたちに当てはまるとは言い切れないだろう。昔ながらの、受験・就職に失敗して悩み続けているタイプの子どもたちも大勢いるんじゃないだろうか。
そもそも何事にも例外はあるわけで、一つの理論だけで全ての事象を語り尽くせるはずはない。あくまでも、大きな流れとして、趨勢として、そのような状況があるのではないかと、内田樹は説いているのである。趨勢の趨ってずいぶん難しい字だね。
僕がこの本の中で一番感銘を受けたのは以下の部分。
「働く義務がある」ということをあらゆる人間社会がその基礎的な論理としてきたのは、「働くことで、すでに受け取ったものを返さなければならない」という反対給付の義務感が僕たちの社会生活のすべての始点にあるからです。この義務感・負債感を抜きにして労働のモチベーションを基礎づけることはできません。「働かなくてはならない」というのは、労働について装飾的に追加されたイデオロギーではなくて、労働の本質なのです。
この後、職業訓練の機会を提供するとか、カウンセリングやきめ細やかな適性検査を行うことで状況を改善しようとする専門家たちの対策は無駄に終わるであろう、と話が続くのだが、僕はこの一節に惹かれる。というか、どうも僕は「反対給付」という言葉に弱いらしい。「反対給付」とは経済学の用語でもあるらしいのだが、内田樹は人類学の用語としてこの言葉を使う。それが正しい使い方なのかは僕にはわからない。
人間は、自分利益のために頑張るよりも、自分を支えてくれたものや、自分を今まで生かしてくれたもののために頑張る方が、ずっと力を発揮出来る。そんな風に考えたいし、本当にそうなのかもしれない。逆に、みんなが自分の利益=金のことばかりを考えていたら、世の中は住みづらくなる。国民が全員株やFXでお金だけ稼いで終わり、みたいなことになったら、社会インフラを支える人がいなくなってしまうだろう。
もっとも、「お国のため」などということばでもって、その力をわるいほうに利用しようとする人たちもいて、それはそれで非常に厄介なのだが。
お金は確かに必要だけど、もっと大切なものがある。それは、学びであり、労働であり、それらを通じて得られる自分自身の成長である。と書いてみて、「古くさっ…」と自分でも思うが、実際にそうなんだからしかたない。大事なものは、いくら時代が変わっても変化しない、ということなのだろう。
なお、最近のインタビューで内田樹は、”完全に健全な方向に是正された若者が増えてきている。”と述べている。