rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

日本文学盛衰史/高橋源一郎

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)


 坪内逍遥、二葉亭四迷、そして夏目漱石、森鴎外。かれらが日本における近代文学成立に多大な功績を残したことは、文学について学んだ人間なら常識中の常識であろう。多分。
 かくいう自分は、理系の大学生だった頃に、一般教養科目として履修した「日本文学」の講義でそのことを学んだのである。ちなみに僕の文学趣味が本格的に始まったのもその辺りからだったりする。良きか悪しきか。
 その辺の予備知識があるか否かで、この小説の面白さは変わってくるかもしれない。『小説の読み方、書き方、訳し方』という対談集の中で高橋源一郎は

『日本文学盛衰史』はまあ知識があった方が楽しい小説ですよね。文学史の知識がなくても読めるようには書いたつもりですけれど。

 と語っている。

小説の読み方、書き方、訳し方 (河出文庫)

小説の読み方、書き方、訳し方 (河出文庫)


 かくいう自分は、知っていることもあれば知らないこともある、という感じだった。
 例えば石川啄木について自分は、「ぢっと手を見る」の人、くらいのイメージしか持っていなかった。遊郭にハマって借金まみれだったこととか、朝日新聞で夏目漱石と交流があったこととか、晩年には社会主義に傾倒していたことなどを、この小説で知った。
 また、北村透谷(読んでる時はずっと「きたむらとうや」だと思っていた)や横瀬夜雨、伊良子清白など、名前自体を初めて知った作家も多い。
 要するにこの小説、日本文学史の教科書としても読める、のではないかと思う。多分。自信は無い。
 なぜ自信が無いかというと、僕自身に日本文学史についての知識が不足しており、この小説の記述のどこまでが史実でどこまでが創作なのかがわからないから。書き方から見て、明らかに創作だとわかる部分(たまごっちとか)以外は史実なのだろうとは思うけれど。
 それにしても、この小説。長い。かなり長い。文庫で660ページ。大作である。
 しかも章ごとに語り口も登場人物もコロコロ変わるため、いつ、誰の話なのかを把握するのに時間がかかる。おかげで読むのに二週間程かかった。
 長さや場面転換の多さ(断章形式といえばいいのか)は、むしろ没入感を高めるのに寄与しているのではなかろうか。
 なぜ、たまごっちや伝言ダイヤルやアダルトビデオといった、現代の、というか執筆当時の風俗を明治の文豪の世界に混ぜ込んだのか、という疑問が読んでいると当然ながら出てくる。
 すぐに思いつくのは、「現代における諸問題を、明治における諸問題と照らし合わせてみるため」だろうか。
 わかりやすいのが、自然主義、という問題で、文学と言うのは「現実をありのままに描くものだ」という流行があって一派いたのだが、現代においては、現実をありのままに描きたかったらビデオカメラを回せばいいじゃん、という話になる。つい最近も、ビッグダディ、などという、一つの家族を追ったドキュメンタリーが話題になっているらしいが、多分そういうことなんじゃないかな(無知)。
 そんなこんなで、この小説では田山花袋がアダルトビデオを撮ることになる。
 しかしそんな理屈のことはどうでもいい。重要なのは面白いかどうかだ。そしてこの小説は面白い。
 なにが面白いかというと、言葉という、人間にとってのほとんど全てであるようなものについて、昔の人がどんな風に悩み考えたのか、ということを、ともに考え、感じさせてくれる。そのほとんど奇跡のような所業が面白いのである。
 と、言い切ってしまいたくなる。
 本当のことを言うと、あまりに重厚過ぎて、よくわからない部分も多かったので、折に触れて何度も読み返したい、そういう小説になると思う。