- 作者: 宇野常寛
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2011/07/28
- メディア: 単行本
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なぜこの本を手にとったのか。確か、斎藤環が新潮で書いていた連載でこの本のことを引用していたからだった気がする。うろ覚え。
さらに、タイトルの「リトル・ピープル」というのも興味を引いた。リトル・ピープル。あの、村上春樹『1984』に登場する小人みたいなアレのことである。
リトル・ピープルとは何であるか。それはビッグ・ブラザーの対極とも言える概念の比喩である。では具体的にどんな概念であるか。
著者・宇野常寛によると、冷戦時代における「国家権力」というものがビッグ・ブラザーの代表例であり、それに対してリトル・ピープルとは、冷戦後にその影響力が衰退していった国家権力に変わって発達・発展してきた「グローバル経済・情報社会」的なものであるという。
実際、このあたりの話は、僕らが日常に経験していることを上手く言語化しているな、と感じた。
例えばフィクション作品を見ても、ビッグ・ブラザー的絶対的悪がストレートな形で描かれることはほぼ無くなってきている。というか、僕世代だと、幼少の頃からそういうフィクションに触れることの方が多かった。「新世紀エヴァンゲリオン」に代表されるような。僕個人は全然見てなかったけど。
逆に、TwitterやFacebookに代表されるソーシャルネットワークは、まさにリトル・ピープル的な相互監視社会というべきものを形成している。それと反比例するように衰退の一途を辿っているメディアがテレビという、これまたビッグ・ブラザー的なもの。
また、グローバル経済に過剰適応した結果、会社というシステムそのものが害悪化してしまう「ブラック企業」というのも、リトル・ピープル的なものの顕在化なのではないか。
と、こんな風にパズルのピースを埋めるような作業をするのは楽しいけれど、それだけでは話は進まない。
我々は、リトル・ピープルの時代における「壁(村上春樹がエルサレム賞のスピーチで言っていた意味での)」とどう立ち向かっていけばいいか。宇野は「拡張現実」ではないか?と語る。お、ちょっと文体が書評っぽくなってきた?そうでもないか。
拡張現実とは、平たく言うと、オタクがよくやる「聖地巡礼」のようなもので、現実の世界を虚構、というか物語?で多層化しようという試みのこと、らしい。
以前、「飲食店等の可愛い女性店員情報を共有できるアプリ」というものがあると聞いたことがあるが、アレも拡張現実の一種なのだろうか。
で、これを読んだ僕の感想はというと、すごく面白い!と思うと同時に、どうなんだろうか、と疑問に思ってしまう部分というか割合も結構あった。
これはかなりの印象論になるのだけれど、なんとなく「社会はビッグ・ブラザーからリトル・ピープルへ移行してきている」という物語化が過剰すぎるように感じられる。さらに、あまりに多くの事象をその物語で説明しようとしているため、どうもうさんくささ、のようなものを感じ取ってしまう。もちろんそれが僕のひねくれた性格に起因している可能性は否定できないが。
もっと言うと、「仮面ライダーは村上春樹が予想できなかった世界を表現している」みたいなことを書かれると、「オタク文化>純文学」であるということを主張したいという政治的意図があるのではないか?ということが気になってあまり集中できないのである。いや、これは完全に僕のひねくれの発露であるに違いないのだけれども。
しかし同調するにせよ反発するにせよ、村上春樹(あるいは文学)とオタク批評に興味がある僕のような人間にとっては、ぜひ読んでおくべき、と言える本だと思う。「アイエエエエ!仮面ライダー!?仮面ライダーナンデ!?」と思って読み始めたが、実際、面白かった。