rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

ニートの歩き方/pha

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法


 少なくとも、著者であるphaさんの現在の状況を指してニートと呼ぶのは適切ではないだろう。そのことは、先日氏が自身のブログ名を「phaのニート日記」から「phaの日記」に変更したことからも知れる。
 phaの日記
 もっと言うと、氏の言うニートというのは、「自堕落なフリーランサー」といった程度の意味であり、明らかに本来のニートの定義からは外れている。しかしその辺の突っ込みは既に散々なされていると思うで、ここでは特に掘り下げない。
 本の内容に関しては、正直に言うと、内容が重複していると感じた部分が多く、途中からナナメ読みに切り替えてしまった。要約すれば「働くのがだるい」「自分は集団になじめない」「インターネットのおかげで生きられている」といった内容に終始している。
 しかし、phaさんの感性・スタンスについては、共感出来る部分が多かった。
 今の世の中には、明らかに間違った状況が、手付かずのままで放置されている、というような事態がいっぱいある。もちろん、いつの時代にも「間違った状況」というものは存在したのかも知れないが、だからといって間違っているものは間違っているのである。
 仕事に就けないことを苦にして自殺する。仕事を苦にして自殺する。そんなのは間違っているに決まっている。だって、仕事の数自体が減っているのだから。
 にも関わらず、「若者は仕事を選り好みしている」などという言説がまかり通っている。今まで散々子供に「個性を大切に」と言っておいて、大人になったら「職の無い若者は介護業界で働け」みたいなことを言う。どっちやねん、と言いたくなる。そういう、介護なら誰でも出来る、みたいな言い方は、むしろ介護業界で働いている人に対して失礼でさえあると思う。断じて、介護という仕事が無個性だと言っているわけではない。若者にだって職を選ぶ権利はあるのである。
 と、少し話が個人的な意見に傾いてしまったが、ともあれ、phaさんはそういう世の中の不条理を背負って、なのか背を向けて、なのかはわからないが、少なくとも向き合って、生きているのではないか、と感じる。そんな世の中が嫌だからこそ、自分に正直に生きている。
 中には、ニートに便乗してお金を儲けている、と言う人もいる。その意見は、一定程度的を射ているかもしれない。しかし、ニートを騙って莫大な利益を得た、と言うなら話はわかるが、phaさんに関してはそうではない。むしろカツカツの収入で暮らしていらっしゃる、らしい。その割には批判の声が強すぎる気がするのは、嫉妬のせいもあるんじゃあないか。
 また、phaさんみたいなニート、というか自由な生き方をする人が増えれば、結果的に国が貧乏になり、彼のような人も暮らしていけなくなる、みたいな論法で批判する人もいるが、それもまぁ理屈としてはある程度正しいのだが、しかしあまり意味のある批判だとは思えない。
 国を豊かにするために、働いていない人を働かせよう、と考え、実際にそういう政策をとるのは理に適っている。しかし、だから働かない人をバッシングする、というのは大いに間違っている。厳しく当たるほどその人の生産性が上がるという間違った人間観は、今の体罰やブラック企業の問題に通じているのではなかろうか。
 それよりも、働けなくてもギリギリなんとか生きていけるような社会、働いたり働かなかったり、みたいなことがやりやすい社会、そういったものを目指したほうが、むしろ結果的に社会が豊かになるのではないか、というまっとうなことをphaさんは言っているのだ。
 と、こう書いてみて、言っていることがバブル期のフリーター擁護論に似ている気がすることに気付いた。ただ、そっちは「豊かな時代だからこそフリーな生き方」だったのに対し、こっちは「貧しい時代だからこそフリーな生き方」だという違いはある。似ているからどうなのか、ということに関しては、うん、正直自分でもよくわからない。誰かかわりに考えてください。丸投げ。
 ともあれ、この本は著者本人が言うように、ニートがどのように生きてけばいいかということを書いた本「ではない」。むしろ、phaさんという一人の自称ニートが、今までどのように生きてきたか、を書いた本だ。タイトルの「ニートの歩き方」はそういう意味である。彼の考え方に触れたい、という人は手に取ってみたらいいと思う。その際は、phaさんのブログの人気エントリーをあらかじめ読んでおくと、理解が深まるだろう。