- 作者: 高橋源一郎,内田樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/04/10
- メディア: 文庫
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そう言われると、確かにその通りかもしれない。この小説からは、カッコつきの「文学」、つまりパブリックイメージとしての文学性のようなものは感じられない。
とにかく下品だし、不謹慎だし、難解な言い回しや語彙はほとんど出てこないし、テレビタレントの名前が脈絡無く登場人物の名前に割り振られていたりたりする。
しかしだから面白くないかと言うと全然そんなことは無い。むしろ面白い。むちゃくちゃ面白い。
主人公の「わたし」はポルノグラフィー作家*1。ある日から彼の家に、”おびただしい数の無残な死体を緻密に描写した文章が書かれた手紙”が、次々と届くようになった。
その手紙の送り主は「すばらしい日本の戦争(という名前の人物)」。彼の頭には「死体(という名の呪いのような何か)」が取りついていた。その「死体」を取り除くために、「わたし」は「すばらしい日本の戦争」を「テータム・オニール(という名前の人物。アメリカの女優とは多分関係ない)」の元に連れていく。
というのがこの小説のあらすじ。固有名詞や、荒唐無稽な設定に惑わされそうになるが、ストーリーの骨組みだけを見れば、古典的・原初的な物語だと言えるのではないだろうか。
暴力によって傷ついたものたちや、暴力による傷を運良く被らなかったものたちが、暴力によってさらに深く傷ついたものを救おうとする。
そのような行為に、本当に救いはあるのだろうか? それはわからない。
学校教育のように、既定のカリキュラムに乗っ取るだけで人を救えるならば、誰も苦労はしないだろう。
ただ、救おうと努力だけがそこにありうる。そしてその結末がハッピーだとは限らない。
「すばらしい日本の戦争」は、死体に取り憑かれ、狂ってしまった。本当は狂ってなどいなかったのだが。
虚心に読めば、これは単純な比喩ともとれる。「戦争中の日本人が少なくとも表面上は信じていたすばらしい戦争は、悲惨な敗北により終結を迎えた」という事実の比喩としての、「すばらしい日本の戦争」という人物。
しかし比喩はあくまで比喩であり、読み解く人間がいて初めて成り立つものだ。それが比喩というものだ。だからどうというわけではないが。
この小説は、戦争と、その後の反戦運動によって傷ついた人々と、傷ついた人々の救済を求めて彷徨う人々を描いた作品なのだ、と言いたい。言いたいのだが、そのような理に落ちた説明とは真逆に置きたいような作品でもある。
追記(2016年11月10日)
「アメトーーク!」の読書芸人で紹介されたこの小説。検索したら自分の書いたこの記事が出てきたので、ついでに加筆修正。
*1:ポルノグラフィー=いわゆるエロ小説のこと、ポルノグラフィティー=エロ写真とは違う。この小説を読んで初めて知った