rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

なぜ人はゲームにハマるのか 開発現場から得た「ゲーム性」の本質 / 渡部修司・中村彰憲

 なぜ人はゲームにハマるのか。

 深遠な問いである。人生の最重要テーゼと言ってもいいかもしれない。あるいはこう言い換えたほうがより重要度が増すだろう。

 なぜオレはゲームにハマるのか、と。以上、ボンクラゲーマーのつぶやき。

なぜ人はゲームにハマるのか  開発現場から得た「ゲーム性」の本質

なぜ人はゲームにハマるのか 開発現場から得た「ゲーム性」の本質

 本書は「ゲーム性」とはなにか、という問いから始まり(本書が取り上げる「ゲーム」とは、いわゆるデジタルゲームのことを指す)、人をゲームにハマらせる要素を「ゲーム性」として捉え、それを解き明かしていこうというものである。

 現在、ゲーム性という言葉は、あまりに多様な意味で用いられているため、開発現場で「ゲーム性」という言葉を用いることはNGとされているらしい。

 そこで、著者らは様々なゲームの構造を分析した上で、「ゲーム性」という言葉のひとつの定義を提案する。それは

 ゲーム性とは、効率予測を喚起するようデザインされたシステムである。

 というもの。と、いきなり言われてもなんのこっちゃわからないと思うので、説明する。


 (以下、本書における「ゲーム性」の定義、およびルド・ストラクチャーについての個人的解釈)


 多くのゲームには、ゲームオーバーというものが存在する。ゲームオーバーになると、ある一定の地点まで戻されるか、または最初からやり直しとなり、多くの時間的損失を被ることになる。このような状況を「デンジャー」と呼ぶ。

 そしてほとんどのゲームには、ある目標に対して「デンジャーになるリスクは高いが短時間で済む方法」と「デンジャーになるリスクは低いが長時間かかる方法」が複数、あるいはアナログ的に無数に存在しており、プレイヤーはその中から、リスク・難易度・自分のスキルなどを加味した上で、最も時間効率がよいと思われる選択肢を選ぶことができる。

 例えばドラゴンクエスト1の場合。経験値を稼ぐには「遠くの強い敵を倒して一気に稼ぐ」か「近くの弱い敵をたくさん倒して稼ぐ」という選択肢がある。

ドラゴンクエスト

 前者の場合、成功すれば短時間で多くの経験値を稼げるものの、死んでしまい城に戻されるリスクが常に付きまとう。一方後者の場合、死ぬ危険は低いが、必然的に経験値を稼ぐのには時間が掛かる。

 また本書でも取り上げられているスーパーマリオブラザーズの場合、実はBダッシュというシステムが難易度調整を担っている。

スーパーマリオブラザーズ

 Bダッシュを使うと早くクリアできるかわりに、敵にぶつかったり穴に落ちるリスクが高まる。逆にBダッシュを使わず、ゆっくり歩いて進めば時間はかかるが安全に進める。このように、プレイヤー自身がBダッシュというシステムを使って効率とリスクのバランスを調整できるようになっている。もちろんBダッシュには「クリアに必須なテクニック」という側面もあるが。

 参考:Bダッシュなしで、本当に『スーパーマリオブラザーズ』はクリア出来るか やまなしなひび-Diary SIDE-

 以上のように、プレイヤーは「どのようにプレイすればトータルの時間効率が良くなるか」ということを、リスク、難易度、自分のスキルに応じて予測しながら判断を下している。これを本書では「効率予測」と呼ぶ。

 そしてゲームの中には、プレイヤーに効率予測をさせるような仕組みが複数組み込まれている。それを本書ではゲーム性、ないし「ルド(ラテン語で「遊び」という意味)」と呼んでいる。これが冒頭に書いた「ゲーム性とは、効率予測を喚起するようデザインされたシステムである」という定義なのだ。

 再びドラクエ1の例で言えば、上述の経験値稼ぎの他にも、「こんぼう(弱いけど安価な武器)を買って先に進むか、どうのつるぎ(強いけど高価な武器)が買えるまでお金を稼ぐか」とか「低レベルでボスに挑むか、地道にレベルを上げてから挑むか」というような効率予測が成立しうるだろう。この場合、装備システムやレベルシステムが、効率予測を喚起しており、つまりこれらがゲーム性=ルドであるとみなせる。

 面白いのは、ルドとは必ずしも製作者の意図によってのみ作られるものではなく、プレイヤーがゲームの中から新たな効率予測を見つけ出すこともある、ということ。例としては、「スーパーマリオ64」で、パワーアップアイテムである1UPキノコから逃げ回るという新たな、かつゲームクリアという観点からは完全に不毛なプレイングで一世を風靡した実況プレイ動画「奴が来る」などがその典型であろう。

 ルドには、ひとつの小さなルドが、大きなルドによって内包される、というような入れ子の構造がある。またしてもドラクエに例えるなら、戦闘における「攻撃か回復か」という効率予測が「戦闘か逃走か」という効率予測に内包されており、さらにそれは上述の「強い敵と戦うか弱い敵と戦うか」という効率予測に内包され、それら全てが「ゲームクリア」という目標に対しての効率予測となっている、という具合に。

 このようなルドの構造、すなわち「ルド・ストラクチャー」を図として描くことで、あるゲームが持つゲーム性を図像化したり、あるいはゲーム開発の際、絵画のデッサンのようにゲーム性をデッサンすることも可能なのではないか、と著者らは考えている。



 以上が、この本におけるゲーム性(=ルド)の定義(と、僕が読み取ったこと)である。

 言われてみると確かに、僕の知る限りのあらゆるゲームには「効率予測を喚起するデザイン」が組み込まれていると言える。そして、効率を予測することがゲームプレイのモチベーションを駆動している面も多分にある。 

 ただ、「効率予測を喚起するデザイン」という言い方自体に、なんだか漠然としすぎていてケムにまかれているような印象を持ったのも確かである。

 ルド・ストラクチャーに関して言うならば、なんだか小説をあらすじに直している書き起こしているような感じに見えて、果たして客観的たりうるだろうか、という疑問もある。

 それと、本書の後半、話が「効率予測」に関わる箇所以外は、どーも無理やり学術用語を引っ張ってきてゲームと関連づけているような節が随所で感じられた。個々の話自体は面白かったのだが。幻肢の話とか。

 しかし本書の、ゲームが持つ構造を、記号や、人間の身体性や、物語論といった側面から分析しようという試みは非常に興味深かった。こういう研究がもっと盛んになっていってほしいものである。

 また、本書に例として取り上げられているゲームは、「PON」や「スペースインベーダー」などの、今や古典と呼ぶべき作品や、「スーパーマリオ64」「ゼルダの伝説時のオカリナ」「ワンダの巨像」などの名作とされる作品、さらに「パズル&ドラゴンズ」などの最新作まで幅広かった。実は僕がこの本を読み始めたのも、本屋で手にとってパラっとめくったら、これらのゲームタイトルと紹介写真が目に入り、面白そうだな、と思ったからだったりする。