rhの読書録

読んだ本の感想など

別の仕方で ツイッター哲学 / 千葉雅也

 哲学者が、Twitter上でしたツイートを、再編集・再構成した本、である。

別のしかたで:ツイッター哲学

別のしかたで:ツイッター哲学

 この時点で(一定以上に本を読む人間ならば)ちょっと身構えて読むことを強いられるだろう。そもそも「Twitter+哲学」あるいは「Twitter+思想」と言われるだけで、なんとなくキナ臭く感じてしまうのは僕だけだろうか。

 まず、表紙に描かれているのは、キャラ化された著者のデッサンである。n割増でイケメンである。キャラ化とはすなわち虚構化であり、「フリ」である。現代において哲学をやるためには、自分をキャラ化するしかないのだろうか?などと考えたり。

 そもそも著者は東大出の博士でありフランスに留学経験がありながらギャル男ファッションに造詣がある、という異色の経歴の持ち主である。本来の意味とはちょっと違うが「信頼できない語り手」な感じがある。

 彼によると、Twitterには140字しか使えないという「有限性」があって、それはドゥルーズ・ガタリが言う「有限性」に通じているらしい。本当だろうか?とか。

 果たしてこの本は哲学なのか?それとも単なるアイデアの集積なのか?と考えてしまうが、そう考えさせること自体が筆者の目論見通りであるようにも思えてきて、手のひらの上で転がされている感がヤバイ。

 本書はこんなツイートから始まる。これはほとんどエッセイである。

 次がコレ。なんだかライフハックに近い。ちなみに「自転車で出歩くとかもそう(笑)」の部分は本では削られている。

 かと思えば、その二つ後がこのツイート。ライフハック論、だろうか。

 ツイートを並べた書籍には高橋源一郎『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』などの前例がある。多分ぼくが知らないだけで前例はもっとあるだろう。

「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について

「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について

 しかし、ある特定のトピックについて語ったものを連続して並べるのではなく、様々な事柄について雑多に並べたものは珍しかろう。はたしてそれを著作と呼んでよいものか。はたしてそれについて、どのように語ればいいのか。



 しかしこのような懸念が常にありつつも、実にスイスイと読めてしまったのも事実である。140字という制限のおかげで読みやすくなっているのだろうか。分からない用語(ファンタスム)は飛ばして読んだ。

 正直に申し上げましょう。哲学的なことはよくわかりません。さっぱりわかりません。レイズ・マイ・ハンド。

 でも、それでも面白かった。そしてその面白さは、個々のツイートの「わかってる感」が絶妙だったから、だと思う。

 例えばこんなツイート。わかる。ヒジョーによくわかるよ、と言いたくなる。こういうツイートがいっぱいあったので、ドンドン読みたくなったのだと思う。ただそれは、僕が千葉雅也氏のTwitterをフォローして読んでも同じように面白いと思ったに違いない。

 ただ、「わかってる感」を出そうとしすぎて、言い回しに凝りすぎて単なる「キザ」になってやしないか?と思うものもあったにはあった。


 本書の中では「序破急」に言及したツイートがあったが、二冊目の単著である本書は、著者にとっての「破」なのだろうか。「序」は読んでないけど。

 エッセイと哲学の混淆、というより、なんでもないようなエッセイとゴリゴリの哲学が交互に登場する、不思議な本となっている。そしてそれはTwitterというWebサービスが無ければ生まれることは無かった。なんであれ特異な本であることは間違いない。