哲学者が、Twitter上でしたツイートを、再編集・再構成した本、である。
- 作者: 千葉雅也
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2014/07/19
- メディア: 単行本
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この時点で(一定以上に本を読む人間ならば)ちょっと身構えて読むことを強いられるだろう。そもそも「Twitter+哲学」あるいは「Twitter+思想」と言われるだけで、なんとなくキナ臭く感じてしまうのは僕だけだろうか。
まず、表紙に描かれているのは、キャラ化された著者のデッサンである。n割増でイケメンである。キャラ化とはすなわち虚構化であり、「フリ」である。現代において哲学をやるためには、自分をキャラ化するしかないのだろうか?などと考えたり。
そもそも著者は東大出の博士でありフランスに留学経験がありながらギャル男ファッションに造詣がある、という異色の経歴の持ち主である。本来の意味とはちょっと違うが「信頼できない語り手」な感じがある。
彼によると、Twitterには140字しか使えないという「有限性」があって、それはドゥルーズ・ガタリが言う「有限性」に通じているらしい。本当だろうか?とか。
果たしてこの本は哲学なのか?それとも単なるアイデアの集積なのか?と考えてしまうが、そう考えさせること自体が筆者の目論見通りであるようにも思えてきて、手のひらの上で転がされている感がヤバイ。
中古のテーブルはいい。新品の天板だと、使い始めの頃は、そこに付く痕跡が「自分の痕跡」だと意識して、気になる。知らない経歴を辿ってきたテーブルはスクランブル交差点みたいな感じがして、そこに向かうと自分は匿名者になる。カフェのテーブルがそう。それでなんだかとても気が楽になる。
— 千葉雅也 Masaya CHIBA (@masayachiba) 2013, 1月 29
本書はこんなツイートから始まる。これはほとんどエッセイである。
創造的になるために、惰性に逆らって「つねに意識を高く持とう」としても三日坊主になる。重要なのは、惰性的にやってしまう日々のルーチンのなかに、なんとなく勉強してしまえるタイミングとかをうまく組み込むこと。「惰性的に創造力を高めるための環境設定」をする。自転車で出歩くとかもそう(笑)
— 千葉雅也 Masaya CHIBA (@masayachiba) 2013, 1月 27
次がコレ。なんだかライフハックに近い。ちなみに「自転車で出歩くとかもそう(笑)」の部分は本では削られている。
グローバルビジネスの大勢に適応するためのライフハックではなく、各人が脳と身体の個体性、特異性を賦活するためのライフハックが必要なのだ。
— 千葉雅也 Masaya CHIBA (@masayachiba) 2012, 6月 27
かと思えば、その二つ後がこのツイート。ライフハック論、だろうか。
ツイートを並べた書籍には高橋源一郎『「あの日」からぼくが考えている「正しさ」について』などの前例がある。多分ぼくが知らないだけで前例はもっとあるだろう。
- 作者: 高橋源一郎
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2012/02/25
- メディア: 単行本
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しかし、ある特定のトピックについて語ったものを連続して並べるのではなく、様々な事柄について雑多に並べたものは珍しかろう。はたしてそれを著作と呼んでよいものか。はたしてそれについて、どのように語ればいいのか。
しかしこのような懸念が常にありつつも、実にスイスイと読めてしまったのも事実である。140字という制限のおかげで読みやすくなっているのだろうか。分からない用語(ファンタスム)は飛ばして読んだ。
正直に申し上げましょう。哲学的なことはよくわかりません。さっぱりわかりません。レイズ・マイ・ハンド。
でも、それでも面白かった。そしてその面白さは、個々のツイートの「わかってる感」が絶妙だったから、だと思う。
プロレスとは、男同士のセックスを回避し続ける遅延の劇に他ならない。
— 千葉雅也 Masaya CHIBA (@masayachiba) 2012, 9月 30
例えばこんなツイート。わかる。ヒジョーによくわかるよ、と言いたくなる。こういうツイートがいっぱいあったので、ドンドン読みたくなったのだと思う。ただそれは、僕が千葉雅也氏のTwitterをフォローして読んでも同じように面白いと思ったに違いない。
ただ、「わかってる感」を出そうとしすぎて、言い回しに凝りすぎて単なる「キザ」になってやしないか?と思うものもあったにはあった。
本書の中では「序破急」に言及したツイートがあったが、二冊目の単著である本書は、著者にとっての「破」なのだろうか。「序」は読んでないけど。
やっぱ好きな形式は序破急ですね。博論もそうなってる。途中で壊れてきて最後は突っ走る。そうじゃないと。(って玉砕精神的でよろしくないのかしら)
— 千葉雅也 Masaya CHIBA (@masayachiba) 2013, 9月 2
エッセイと哲学の混淆、というより、なんでもないようなエッセイとゴリゴリの哲学が交互に登場する、不思議な本となっている。そしてそれはTwitterというWebサービスが無ければ生まれることは無かった。なんであれ特異な本であることは間違いない。