rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

ほぼ日刊イトイ新聞の本 / 糸井重里

ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫)

ほぼ日刊イトイ新聞の本 (講談社文庫)


 以前、糸井重里・村上春樹共著の「夢で会いましょう」という本を某古本屋で買って読んでいたら、真ん中あたりの数十ページが根本からごっそりと破り取られていて、ものすごくガッカリしたことがある。そしてその本はいまだに読みきっていない。買い直して読めばいいだけの話なんだけど、あまりにガッカリがひどかったので、どうもそういう気が起こらないのである。あくまでも、本に罪はない。

夢で会いましょう (講談社文庫)

夢で会いましょう (講談社文庫)


 糸井重里と村上春樹の違いはなんだろう、と考えてみる。二人の差は、前者が巨人ファンで、後者がヤクルトスワローズファンである、ということに象徴されるのではないか、となんとなく思った。たぶん、最近「村上さんのところ」をかかさず読んでいるせいで、そんなことを思ったのだろう。


 そんな前置きは置いとくとして、「ほぼ日刊イトイ新聞の本」を読んだ。ちょっと前に「インターネット的。」を読み、そちらは抽象的な話が多くていまいち「ぐっと」来なかったが、こちらは「ほぼ日刊イトイ新聞」というサイトをどのように作り上げていったか、という話が中心で、面白く読めた、というか、今の自分の気分に合っていた。

インターネット的 (PHP文庫)

インターネット的 (PHP文庫)


 「ほぼ日刊イトイ新聞」というWebサイトがあることは、インターネットを始めた当初から知っていた。でも、いつごろから認識し始めたのか、というはっきりした記憶はない。


 少なくとも、僕のように00年台の中頃からインターネットに触れ始めた人間にとって「ほぼ日」は、インターネットという空間に、空気のように当たり前にある存在だったのではないか。そしてその感覚は、今も続いていると思う。

 正直に言って僕自身は、ほぼ日に特別な思い入れがあるような、いわゆる「ファン」というようなものとは程遠い。

 でも、有名人の名前をWeb検索したら、ほぼ日の記事が出てきて、それが面白いのでじっくり読み込む、ということは何度もあった。あとここ数年、1月始まりの手帳が売り出し始める年明けが近づくたびに、「ほぼ日手帳」のことが気になる、ということが毎年繰り返されている。結局毎年買わないんだけど。

 そう考えると、まるでほぼ日という木が、インターネットの世界にしっかりと根を張り、枝を伸ばし、おいしい果物を無料で訪れた人に分け与えているような、そんなイメージも浮かぶ。今日は比喩が多いなぁ。


 本書に出てくる「メディアにとって大切なのはコンテンツだ」とか「作る人も読む人も面白いような、内輪受けでないものを妥協せず作りたい」というような発想は、キレーゴトのようにも聞こえるが、実際にそれをカタチにできているのだから、すごい。

 糸井重里は、そんなステキな物語を、ステキに作ってステキに売るのが上手な人のように見える。

 そのような物語を「マガイモノだ」と言って批判する人もいるのだろう。でも、物語には、現実に現実を動かし、現実を変える力がある。というよりも、現実を動かしているもののほとんどが、実は物語のではないだろうか。もちろん、全ての物語が常に全的に正しい、とは限らないが。

 僕はこの本を、良き物語として読んだ。同じように読める人も、きっといると思う。とても良い本です。