- 作者: 内田樹,平尾剛
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2015/03/09
- メディア: 文庫
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内田樹が語る身体論はすごくいい。読むだけでやる気が湧いてくる。正しいとか、正しくないとか、そういうのはちょっとわからないんだけども。
例えば。
人は、「とにかく一生懸命頑張れば結果は出る」と考えがちである。
長時間勉強すれば、テストで点が取れる、とか、筋トレすれば力が強くなる、とか。
しかし、人間が生き延びるために本当に必要な能力は、そのような「あらかじめ想定された状況で発揮される能力」ではなく、どのように「振る舞えばいいのかわからない状況で正しく振る舞える能力」である、と内田樹は言う。
そしてそのような危機対応能力を涵養するためのプログラムとして、古来より継承されてきたのが、武道である、と。
いや、これが武道的に正しい見地なのかどうかは、ぼくは知らないよ?うん。
では危機対応能力を高めるためにはどうすればいいか。
身体知を高めればいい、と内田樹は言う。
身体知とは、ぼくなりの解釈で言えば、身体が持っている直感のようなもの、のことだと思う。
常日頃から心身が持つポテンシャルを引き出すトレーニングを積んでいれば、自ずと身体知は高まる、という。
身体知を高めるための訓練は、「いろいろなやりかたで身体を動かせるようにする」というようなものであり、反復練習のような、効率主義的なやり方とは全く異なる、らしい。
そのような効率第一の画一的な訓練方法は、むしろ本来人の中に眠っているはずの身体知までを損ねてしまう(と言っている)。
よくよくわが身を振り返ってみれば、確かになにかを決断しなければいけない時には、頭で考えるよりも、感覚で判断していることの方が多い。それもその決断が重大なものであればあるほど。
おそらく世の中にある「決断」のほとんどは、なんとなくの感覚で成されており、それで世の中は問題なく回っているのではないだろうか。にも関わらず、僕らは、自分は頭をつかって合理的に考えている、と思い込んでいる。
もちろん、学術的な知識なんて不要だ、という話をしているのではない。
事実は事実であり、どんなに本当らしくても嘘は嘘である。
しかし、事実なのか嘘なのかを、限られた情報の中から判断しなければならないような状況が、人生の中にある。というより、情報というのは、その本質として、常に不足せざるを得ないものなのではないか。
そんな時は、己の直感までをフル稼働して、判断を下さなければならない。そして、淘汰圧を受けて進化してきた人間にはそのような隠された能力が必ずあるはずだ(と内田樹は言う)。
ここまで書いてみて感じたのだが、内田樹が言いたいことは、「君たちの身体には、まだ見ぬ力が眠っているよ!」ということなのではないかと思う。だから読むと元気が出るのではないか。
何度も言うように、それがどれほど正しい話なのかはわからないけれど、「正しいかどうかはわからないが、とりあえず元気が出るから読む」という態度は、そのような留保つきならば、それほど間違ったことではないんじゃないかな、とぼくは思うのです。はい。