高橋源一郎の『デビュー作を書くための超「小説」教室 』という本を読んだ。彼が考える「小説の書き方」と、小説新人賞の選考委員として書いた選評をまとめた本だ。
- 作者: 高橋源一郎
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2015/03/21
- メディア: 単行本
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その中の文藝賞の選評で「人のセックスを笑うな」を絶賛しており、文庫版の解説も書いている。
あの高橋源一郎が絶賛するほど面白いなら読んでみよう、と思って、読んだ。読んだら、面白かった。それも、この上なく。
- 作者: 山崎ナオコーラ
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2006/10/05
- メディア: 文庫
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19歳の美術専門学校生の男「みるめ」と、その学校の講師である39歳の女「ユリ」。その二人の恋愛。そういう話である。
恋が生まれて、育って、終わる。その過程を、みるめの目線で書いている。
若い男ならではの、純粋さ、背伸び感、わがままさ、思いやり、そんなようなものが、ごくシンプルに、しかしありえないほどのリアリティで書かれている。こんな本は、読んだことがない。
こういうことを言うのは恥ずかしいのだが、っていう前置きそのものが更に恥ずかしさを増長させてしまっているのだがそれはいいとして、自分が恋をしていたときの気持ちの一部が、この本によって世間にさらけ出さてしまっているような、そんな怖さにも似た心地よさがある。
あのころのぼくの気持ちが書かれている、というより、この本を読むことによって、あのころ自分はこんなことを考えていたんだ、ということを初めて認識できた、という感じがする。
ユリには「猪熊さん」という夫がいる。だからみるめとの関係はいわゆる不倫なのだが、不倫ということばが持つような不健全な雰囲気は、二人には無い。
当たり前のことだが、たとえ結婚した人でも、恋に落ちることはある。恋をする権利がある。
しかしだからと言って全てが許されるわけではない。配偶者が他の人と逢瀬をしているのを黙って見過ごせる人は少ないし、なによりやっている本人が辛くなる。なぜかはわからないけれど、そういうことになっている。
みるめとユリが求めていたのは、肉体的な触れ合いであり、精神的な触れ合いでもあった。そして二人は一時的にであれ、それを手に入れた。
ではなぜ二人は別れねばならなかったのか?まぁそれはこの小説を読めばわかることだし、それをあえてことばにして言うのは野暮なことなのだが、今のぼくはそれをことばにしておきたいような気分なのである。
人には、「人として社会の中で生きるモード」と、「触れ合いたいモード」の二つがあり、その二つのモードの狭間を行ったり戻ったりしながら暮らしている。
二人の関係は、後者のモードに近いものであり、だからこそ、美術専門学校の講師と生徒の関係であるにもかかわらず、二人は前者のモードに属するような、美術についての話をほとんどしなかったのではないだろうか。
二つのモードのどちらが本能的であるかとか、どちらがより重要だとか、そういう問題ではなく、生きる上では二つのモードのバランスをとることが必要なことなのだろう。
ユリは、後者のモードでみるめに惹かれたものの、このままではバランスがとれなくなる、と思ったので別れることを選んだのだ。彼女の決断は、ぼくにはとても自然なものであるように思えた。彼女には、そのような決断を下す権利があると思った。
しかし、読む人によっては彼女が自分勝手に見えるかもしれない。ストーリーだけを追えば、「若い男をたぶらかして捨てた」と言ってしまえなくもない。
それでもぼくが二人の関係を肯定したいと思うのは、二人の間に確かな心の通じ合いがあり、二人それぞれを優しく見守る周りの人がいることで、そこに、祝福、とでも呼ぶべき奇跡的な空間が生まれているからだ。
恋が終わっても、人生は続く。「会えなければ終わるなんて、そんなものじゃないだろう」とみるめが言うように。
出会いは甘く、別れは辛いが、いい出会いといい別れは、人生にある種の暖かみのようなものを残してくれるだろう。そんな風に思わせてくれる小説だった。