rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

岡崎に捧ぐ / 山本さほ

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)

岡崎に捧ぐ(1) (コミックス単行本)

 自伝的ギャグマンガ。作者が女性ということで「ちびまる子ちゃん」が引き合いに出されることが多いらしいが、ゲーム描写が多いので、個人的には押切蓮介の「ハイスコアガール」や「ピコピコ少年」を連想した。

 紙面に漂う雰囲気は底抜けに明るく、躁的と言っていいほど痛快なギャグが連発する。「明日はどんな楽しいことがあるだろう」という子ども特有のワクワク感がみなぎっている。月並みな言い方だが、センス、と呼ぶしかないようなものが溢れている。

 しかもただ明るいだけでなく、人生の暗い部分にも目を配る観察眼を、作者は持っている。思い返してみれば、自分が小学生だった頃にも、家庭に問題があったり、性格に少々難がある子どもが周りにいた。高校生になって、生徒がある程度学力で選別されるようになったとき、はじめて彼らが「ちょっと変」だということに気づいたものである。

 そんな「ちょっと変」だったり「だいぶ変」だったりする人たちを、同じ躁的なテンポでギャグにしている。出来ている、と言った方がいいだろうか。

 いったいどうしてそんなことが可能なのだろうか?

 それはおそらく、作者がTwitterで連載している「ひまつぶしまんがvol.21」の言葉を借りるならば、彼女が良い意味で「ずーずーしい」からではないかと思う。他人のフトコロに飛び込んでケロッと笑える明るさを、根幹的なパーソナリティとして有しているからではないかと思う。多分。あくまでも、マンガを読んで受けた印象だけれども。

 スーパーファミコンやたまごっちなど、当時流行っていたものがぞくぞく登場するのも、同世代としてはたまらない。読んでいるだけで、忘れていたあのころの思い出が蘇ってくる。トイレにこもってポケモン緑をやっていたら、母親にゲームボーイポケットを隠されたこと。金色のビーダマンでカーブショットを打ったこと。うっかり水着のポケットにデジモンを入れたままプールに飛び込んでダメにしまったこと。などなど。

 昔の人にとっては、ベーゴマや、めんこや、スーパーカーや、ウルトラマンなどが、「記憶を呼び起こしてくれるタイムカプセル」だったのだろうが、ぼくらにとってはそれがファイナルファンタジーだったり、バトルエンピツだったりする、ということを、改めてわからせてくれる。それだけ年をとった、ということでもあるけれど。

 少し気になるのは、そのような「同世代あるある」に、「インターネット感」が出てしまっているという点だろうか。どういうことか。

 我々の世代は、10台の頃からインターネットというものに触れている。そしてインターネットの掲示板などでは、「あの頃あんなおもちゃがあったよね」というような懐かしネタが、幾度と無く語られ尽くしている。その結果、ネタとして洗練され定番化して共通認識と化し、個人の記憶としてあったはずの微妙なニュアンスが失われてしまうのである。

 これはなにも作者ひとりの問題というわけではなく、インターネット以降の世代に共通した話なのではないかと思う。実際、作者の観察眼そのものは(聖剣伝説2のコンピュータのダッシュに着眼するあたり)かなり優れているのであって。


 まぁいずれにせよ、本作がギャグとノスタルジーのハイレベルなミクスチャー(カタカナ使いすぎ)であることは論を俟たない。「note」で三話まで無料で読めるので、まずはぜひ読んでいただきたい。悪魔的に面白いですから。

note.mu