rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

適当日記 / 高田純次

適当教典 (河出文庫)

適当教典 (河出文庫)

 高田純次の人生相談本。

 多くの方がご存知である通り、高田純次は適当である。

 最近、高田純次のファンである家族と一緒に、録画した「じゅん散歩」を見ることがあるのだが、やっぱり適当。

 中年の女性を見かけるたびに「女子大生ですか?」などと声をかけ、幼稚園児に「みんなはビール飲むの?」と質問をする。やりたい放題である。

 本書にも、その「テキトーエキス」が随所にちりばめられている。というよりも、全編適当であると言ったほうがいいだろう。

 できる後輩は全力で潰せ、日曜に遊びたがる子どもには「うすーい睡眠薬」を飲ませて寝かせろ、良いアニメを作るには『人間交差点』からパクれ、など、言いたい放題である。


 高田純次の「適当」とは、くだらないこと、その場の思いつきのようなこと、失礼なことを平然と言ってしまう・やってしまう、という点にある。

 普通の人がそのような行為をすれば、他人からバカにされたり軽蔑されたりするわけだが、なぜ高田純次はそうならないかというと、それらの行為がいずれも「確固たる信念」みたいなものに全く裏打ちされていないからであり、全然本気じゃないからであろう。要するに、適当だから、だ。

 どんな誹謗中傷でも、どんなインモラルなことでも、「適当」でさえあれば、いくら発言しても許されるのだとすれば、もしかすると「適当」ってすごい発明なのかもしれない。よくわかんないけど。

 もうひとつ付け加えておくならば、ある種のジョークには、あえて常識を踏み外すことで、逆説的に常識というものを確認する、という機能がある。

 幼稚園児に「ビール飲む?」がジョークとして成立するのは、言うまでもなく、幼稚園児はビールを飲んではいけないからである。そのことを、あえて言うことで、確認する。

 そのようなジョークを連発できる高田純次は、つまり常識というものを常にわきまえているわけで、だからこそ視聴者に安心感を与えることができるのかもしれない。多分。

 ついでに言うならば、高田純次に対して「適当」という、ある種失礼な呼称をしている時点で、我々も既に高田純次ワールドに巻き込まれているのである。あな恐ろしや。


 高田純次の「適当」は、言うまでもなく「キャラ」である。しかしこの人の場合、キャラと本音が高度にミックスしていて、もはや区別がつかなくなっているように見える。あくまでも視聴者目線で言えば。

 適当キャラはもはや完成の域に達しているかに見えるが、同時にオシャレで車好きな芸能事務所社長でもある彼が、本当のところなにを考えているのかは我々には想像できない。交友関係が広いようなので、おそらく悪い人ではないんだな、などと予想しているが。

 まぁそんな細かいことまで考えずとも、純粋にエンターテイメントとしての「適当」をエンジョイすればいいのかもしれない。そういう心構えで読めば、最高に面白い本である。