rhの読書録

読んだ本の感想など

「自分」を生きるための思想入門 / 竹田青嗣


書きたいことはある。いつもある。
でも、こんなことを書いていいのか?と躊躇する。
なぜか。
そりゃあ一応まかりなりにも人目に触れる可能性のある文章だからだろう。
誰にも見られないのであれば、躊躇する必要もない。
でも誰も見ないものはそもそも書く必要も無い。
他人に煩わされたくない。でも他人がいないと何もやるべきことが無い。


そんな事を考えてしまうのは、竹田青嗣『「自分」を生きるために思想入門』を読んだから。
人はどう生きるべきか、そして社会はどうあるべきか。そんな根本的なことを考えざるを得なくなるのがこの本。
竹田青嗣の本は、昔「ニーチェ入門」を読んだ記憶があるのだけれど、内容は覚えておらず、手元にも残っていなかったりする。


変わらないルールは無い。
進まなきゃいけない目標は無い。
正しい生き方など存在しない。
そんな世界でどう生きるか?
それが現代の哲学の課題らしい。


結論としては、自分の生き方は自分で決めましょう、という話になる。
そうならざるを得ない。
結局何もわからないままじゃないか、という気持ちが湧いてくる。
しかし他に道がないんだから、それはまぁしょうがない、とも思える。


自分らしく生きている人に憧れる。自分の生き方を自分で決めている人に憧れる。
ナルシシズムがカリスマ性の源だ。
でも、誰かに憧れてるだけでは、自分らしく生きることはできないんじゃないか?
そうとは限らない。誰かに憧れつつ自分は自分らしく生きることもできる。


むしろ問題は「自分らしく生きること」にこだわってしまうことの方にあるだろう。
自分らしさにこだわっている時点で、他人との違いに価値を見出そうとしている。
他人に振り回されている。


「自分探し」を腐す、ありふれた人間批評がある。
でもそもそもどうして自分探しなんていう概念が世の中に広く出回ったのか、その理由を考えなきゃ意味がない。
昔は生きる目標を誰かが決めてくれた。
でも今はそうじゃない。自分で目標を決めなきゃいけない。基本的にはそういうことになっている。だから自分が何のなのか、何をしたいのかを探さなきゃいけない。
昔は社会が「こう生きろ」と言ってくれた。今は「自分で考えろ」になった。それに素直に従った結果が「自分探し」なのだ。
で、みんながこぞって個性を探すっていう没個性的な事態になっている。確かにアイロニカルではある。
自分の目標、自分の生き方を見つけることが出来た人にとって、自分探しは必要無い。
でも世の中はそういう人ばかりじゃない。そういう人のほうがむしろ少数派だ。
多くの人は、自分がなんのために生きているのかわからないまま生きている。
自分を確立することに成功した人や、そもそも確率する必要が無かった人が、自分探しを腐すのは、不公平というものだ。生まれつきの金持ちが自助を説くようなもの。
たとえ自分探しが不毛なものだったとしても。


でももしかすると、今はもう個性の時代じゃなくなりつつあるのかもしれない。
震災以降の社会不安によって、平凡に、無難に生きることが幸せになりつつあるのかも。
YouTubeにいる変な人を横目に見ながら。


何を求めるべきか。何が幸せなのか。
もちろんそんな難しいことは今でもわからない。
ただ、個別具体的に、目の前のことを、少しでも良くしていく。
それくらいのことしかできないし、それで十分なのかもしれない、とも思う。


面白い本を面白く読む。
でも読み終わった後になにか違和感が残る。
不自由な感じがする。
読んだ人を狭い檻に閉じ込めようとするような不自由さ。
できれば読んだ人を元気にさせるような本を読みたい。
明日も美味しいものを食べたい、と思わせるような。
別に不自由な本が存在すること自体は構わないけども。