ラップグループ『RHYMESTER』のメンバーで、ラジオパーソナリティとしても活動し、番組内で毎週映画評論をしている宇多丸氏が、雑誌読者からの悩みに答えつつ、その人にオススメの映画を紹介していく本。
自分は映画を観るのが得意ではないのであまり観ないのだけれど、著者のラジオは昔からよく聴く(現在はTBSラジオにて『アフター6ジャンクション2』放送中)ので、本書も気になっていたが、確か図書館で拾い読みした程度だったと記憶していたので、改めて通読することにした。
が、読み終わってから、Kindleのライブラリに本書が入っていたのを発見。うーん、どうりで4割くらい既読感があったわけだ。読みながら「あれ、もしかしてこの本全部読んだ?」と思って読書管理サイトも確認したんだけど、登録し忘れていたらしい。
まだ感想は書いていなかったので、いい機会なので書いてみたい。
普段映画を観ない自分が読んでも面白いのかというと、ちゃんと面白かった。2回目も、ちゃんと。
まず「へぇ、こんな映画があるんだ」という知的満足を得られる。
そしてなにより、著者の言っていることが常に「きわめて真っ当」なので、「ウンウン、そうだよなぁ」と共感できる。
なぜ著者が「きわめて真っ当」なのかというと、これまでに大量の映画を鑑賞してきたことが一因なのは間違いない。
ただ映画を鑑賞するだけでなく、映画を観たうえで、
- その映画が表現しているものを考える
- その映画が内包しているものを考える
- 作り手が表現しようとしたもの、内包しようとしたものを考える
- それらが受け手にとってどのような意味を持つかを考える
というようなプロセスをただひたすら真っ当に長年続けてきたのだろう。そのことは著者の映画評を聞けばわかる。
多様性、というものが今一番大事なものとされているらしいけれど、この世界が多様であること、「違い」が存在することを理解するには、より多くの「違い」を知ることが必要だ。
映画のような表現作品はその「違い」を教えてくれる。もちろん映画は現実そのものではない。たとえそれがドキュメンタリーだったとしても、誰かがなにかの都合がいいように作り出した作り物の世界である。
しかしそもそも映画を含む表現作品は「誰かが考えたことや感じたこと」を伝えるための器、あるいは乗り物のようなもので、今のところ表現作品が人類にとって際立って優れた思考や感覚の表現方法であることは確かだろう。論述や映像で伝わらないものを伝えるために、文学や映画にする。もし「テレパシー」だとか「科学技術を使った感覚の共有」だとかが可能になればまた話が変わってくるかもしれないけれど。
そもそも人間に現実そのものを取り扱うことは出来ない。たとえば重大な事件が起こった時、それを映像で伝えたり言葉で伝えたりすることはできるが、事件そのものを持ち運ぶことはできないわけで。
様々な映画を観て、様々な人が考えたことや感じたことを知り、さらにそれについて考えることが、人と人の「違い」を理解する上で役立たないはずはなく、それを繰り返してきたからこそ著者は「違いがわかる」人であり、「きわめて真っ当」なのだと思う。
ということは、あまり映画を観ない自分の想像なのだけれども、映画を観るのも本を読むのもそれほど違わないのではないかと想像する。
自分は自分の好みで本を選んでしまいがちで、もっと違うタイプの本を読まないといけないな、と本書を読んでしみじみ感じる。毎週ガチャでレビューする映画を決めている著者のように。
それでふと思うのは、あまり関係ない話かもしれないけれど、最近のゲーム(コンピューターゲームやスマホゲーム)は「同じゲームをひたすら遊ばせよう」という圧力が強いと感じる。
ログインボーナスやシーズンパスといった、継続プレイを促すシステムによって、プレイヤーを囲みこもうとしている。
昔は社会にとっては(それこそ著者のような)「幅広い知識を持った人間」が人間の理想だったハズなのに、いつの間にか企業が「同じゲームを遊び続ける人間」を作ろうとしているのは、はたしていいことなのか。
まぁ映画だって、同じ映画のファン活動をずっと続けている、みたいな人もいるので、ジャンルの問題ではないのかもしれないけれど、システム的な方向づけがあるのはあまりよくないよなぁ、と。
それにしても「悩みに映画で答える」という本書の企画意図。ちょっと無茶があるように思えてしまうが、実際に読んでみると、本当にあらゆる悩みに映画で答えられている(ように見える)からスゴイ。
「職場男性の女性蔑視に我慢ならない!」とか「ゲイの認知度が低いのが不満です!」というような、社会問題に通じる悩みならまだしも「カツラを外すタイミングが分かりません!」という悩みにカッコよくカツラを外す映画のシーンを紹介したり、「いい大人なのに水が怖いんです!」という悩みに対しては、逆に水を恐れるべきだとして『ジョーズ』や水責めシーンのある映画を挙げるなど、対応の幅があまりにも広い。
「あらゆる悩みは既に哲学者が考えている」みたいな本をたまに見かけることがあり、それは結構な割合で真実だと思うけれど、同じように映画もまた、あらゆる悩みを既に描いてしまっているのかもしれない。
著者のラジオでのトークをそのまま文章化したようなイキイキとした文体もまた読みどころ。
いかに文字数を減らしてわかりやすくするかに苦心しているのが伝わってくる。それはラッパーであることとラジオパーソナリティであることからくる要請なんだろう。