rhの読書録

読んだ本の感想など

フィールド言語学者、巣ごもる。 / 吉岡乾

 雑誌『群像』で連載中の「ゲは言語学のゲ」を読み、この方が書いた本を読んでみたいなぁ、と思った。そして読んだ。

 読んでみたら、やはり連載と同様に面白く、読んでよかったなぁとしみじみと感じたのであった。

 言語学者が書いたエッセイ類を今までいくらか読んできたが、いずれも専門知識が詰まっているのに軽妙で面白い。以前読書感想を書いた『フリースタイル言語学 / 川原繁人』。通して読んではいないが『言語学バーリトゥード』も評判がいいと聞く。

rhbiyori.hatenablog.jp

 本書『フィールド言語学者、巣ごもる。』もまた、様々な言葉を例に取りながら、それに対する言語学的考察をわかりやすく解説してくれている。

 特筆すべきは、もはや誰も使わないような古い表現から現代のネットスラングまでを自在に使いこなす著者の文体で、読むだけで目と脳が楽しい。いわゆる「正しい言葉遣い」だけでない今風の言い回し。

 テーマに沿った言葉遣いをあえて極端にしている箇所(ことわざについての章でことわざを多用する、みたいな)などもあって、「やっぱ言語学者ってボキャブラリーがスゲェんすね」みたいなことを言ったら他の言語学者の方に迷惑がられるだろうか。

 全体として情報量はとても多く、それこそ言語学のゲも知らない自分には到底全てを理解できたとは言えないのだが、細かい議論を頭に入れなくとも論旨を理解できるように工夫されていて、読むのに苦労はしなかった。むしろ知識欲が刺激される興奮があった。

 小笠原言語の存在だったり、日本語がデータに照らしてどれくらい「平凡」であるかといった、明日誰かに話したくなるような話題も多い。

 いかにも学問的な硬い話題ばかりでなく、漫画のセリフやハリー・ポッターの各国語版の比較、VTuberの配信上の発言など身近な題材も多い。個人的には著者が西日暮里バーサスの格ゲー動画視聴勢ということに親近感を覚えた。最近だとソフィア・ヴァレンタインのスト6動画とかも見てるんだろうか。見ていないならオススメしたい。


 著者の専門は、パキスタンの一部で使われているブルシャスキー語だという。この言語は他のいかなる言語との関連性も見つかっていない「孤立した言語」であるらしい(Wikipedia情報)。ちなみに「ブルシャスキー語」のWikipeda項目には著者の論文が参考文献として記載されている模様。

 孤立した言語とはどういうことか。

 言語学では、ある言語を様々な方法で分析した上で、それを他の言語と比較し、同じ起源を持っているか、同じ期限だとすればどちらがどちらの元になったか、あるいは接触によって伝播したのか、はたまた全然関係ない言語なのか、といったことを考察する。

 それは化石を分析して生物の進化を考察するのと似ている。動物や植物であれば、その進化の起源を生物学的にさかのぼることができ、それを元に進化の系統を分類することができる。それは化石という物質的な証拠があるおかげだ。

 しかし化石は永久に残り続けるわけではない。現在地球上に存在する全ての生き物は、数十億年前に生まれた単一の生命体を起源としているとされるが、数十億年前の化石は残っていないので、物質的証拠は無い。単一起源説は科学的推論によって導かれた説だ。

 言語にも、遡ることができる限界がある。しかもその限界は化石よりもずっと近年までだ。言語を後世に伝えるものは「文字」だが、文字が生まれたのは一万年よりも最近であり、その頃にはアフリカで誕生した人類は南アメリカ大陸の南端まで到達しており、言語も多様化していたと考えられる。

 仮に全ての言語の大元となった単一の言語が存在していたとしても、その存在を科学的に証明する方法は、少なくとも今のところは見つかっていない。

 なので、ある言語と別の言語に関連性の見つからない場合、それらの言語は別系統の言語であると見なす。

 そうした分析をしたうえで、他のあらゆる言語との関連性が見られないのがブルシャスキー語のような「孤立した言語」だ。

 
 というようなことは全て本書を読んで得た知識、およびそれに基づいて自分が考えたことである。間違いがあったら全面的に自分の読解力と表現力のせいだ。

 しかし上のような、今まで一度も考えたことがなかったようなことを初めて考えてみるキッカケに、この本がなってくれたのは間違いなく、そういうことこそ本を読む一番の醍醐味のひとつだと、これは確信を持って言える。


 言語学はわずかな差異に注目する学問で、子音が一つあるかないか、文字に点がひとつあるかないかで、研究内容がガラッと変わってしまう。

 そのような差異に対するアンテナの高さが、著者のあらゆるものへの視点から感じられる。サイゼリヤの間違い探しのようなほんのわずかな違いを見つけ出そうとする感度が、より多様な言語の世界を読者に見せてくれる。

 都合の悪いささいな事実は積極的に無視すべき、みたいな態度を偉い人ほど隠さなくなっているように見える昨今において、より人間らしく世界に向きあう方法の手掛かりを、本書は示してくれているように、今の自分は感じる。