昔、カミュの『異邦人』を読んだ。深い感銘を覚えた記憶がある。
主人公のムルソーは、世間の常識、世界のルールに従うよりも、己の内側から湧き上がってくる観念に従う。誰かが言ってほしいことを言うくらいなら、死刑すら厭わない。そのような姿に強く惹かれた。
『シーシュポスの神話』も読んだ。こちらは正直何が書かれているのかよくわからなかったが、なにか大事なことを言おうとしているという印象はあった。後々読み返してなんとなくはわかった気にはなっている。
しかしそれからカミュの著作を読もうとはしなかった。『ペスト』を読まなかったのは、シンプルに病気の人の話を見るのが苦手だったからだと思う。
そんなカミュの人生を自分はよく知らない。ということを、本書を見つけたときに改めて気づき、じゃあ知ってみようと思い読んだ。内田樹の帯文も後押しした。
アルジェリア生まれのフランス人「ピエ・ノワール」としての生い立ち。聴覚障害があり読み書きができなかった母のこと。結核を患っていたこと。叔父の肉屋での読書経験。あまりに多い恋愛遍歴。カミュの人となりを作り上げたものが何なのか。読むほどそれがわかる。
そもそも自分は『異邦人』を最初に読んだ時点で、アルジェリアの地理も歴史も何もわかっていなかった。なんとなく「フランスの隣の小さな国」くらいの認識で小説を読んでいたが、もちろんぜんぜん違う。フランスとは地中海を挟んだアフリカに位置し、19世紀からフランスの植民地になった国だ。
「アルジェリア独立問題でカミュは孤立した」という情報だけは知っていたが、それが何を意味するのかも理解していなかった。「どっちの立場にも立たなかったから不評だったのかな」くらいに捉えていた。
アルジェリアは、フランスによる植民地支配を脱し、アラブ人による国家を立ち上げ独立しようとしてた。サルトルをはじめとしたフランスの知識人はそれを指示した。しかしカミュはそれに全面的に賛成はせず、アラブ人とフランス人の連邦共和国の成立などを模索していた。その態度が世評にそぐわなかったのである。
ごく素朴な現代的感覚からすれば、植民地政策はよろしくないことであり、その地に住む人々による自治こそが望ましい。
しかし当時100万人ほどいたというフランス領アルジェリア人たちにしてみれば、「お前らの先祖は100年前に勝手にやってきたんだから今から出ていけ」と言われたらどうだろう。話はそう簡単ではない。
カミュはイデオロギー的な正しさではなく、己の故郷とそこに住む人々のために論陣を張った。そこには彼の、著作のテーマとも通じる態度がうかがえる。
カミュの言う不条理とはなんだろうか。
人は「不条理」と聞くと「筋道の通らないこと」を思い浮かべる。
それこそ『シーシュポスの神話』で描かれたような、無限に岩を持ち上げるような苦行。これこそ不条理、という感じがする。じゃあ現代のブラック労働や闇バイトも不条理なのか、と考えたくなる。
しかし少なくとも『シーシュポスの神話』を読めば、彼の言う不条理がそのようなものではないことは確かにわかる。
人間はいつか死ぬ。生まれながらに死刑に科せられている。そのことこそ自体が不条理だ、カミュというのが思想だ。
なので、すべての人はひとしく不条理の中にいる。あの人の人生は不条理で、この人の人生は不条理ではない、ということは無い。不条理に直面させられるか、そうでないか、という違いがあるだけで。
人は普通、不条理を直視できないので、条理を作ろうとする。これに従えば大丈夫、というルールに従おうとする。審判の日に復活する、だとか、極楽浄土で幸福になる、だとか。
でもそんな条理は存在しないよ、と。本当は不条理だよ、と。そのことをカミュは岩を押し上げる刑罰にたとえたのだった。
不条理に対して人間ができることは何か。それは「不条理をしっかり見渡し尽くすことだ」とカミュは言う。己の刑罰を知り尽くし味わい尽くしたシーシュポスは、もはや自由だ、と。
自分としては、ここのところの結論は上手く飲み込めないところはあるのだが、人生は不条理であること、不条理に対して出来ることはそれを見極めることだ、という主張には、時代を超えた説得力を感じる。
カミュはナチスドイツに占領されたフランス政権に反抗する非合法新聞「コンバ」の編集と執筆を行った。レジスタンスとして、反体制的な新聞で記事を書いていた。
最近自分は不勉強を自覚して、高校の世界史を一から勉強しているのだけれど、その直接の原因になったのが小説『供述によるとペレイラは…』だった。第二次大戦前のポルトガルで、ファシズムによる暴力を告発した主人公は、最後にフランスへと逃亡する。時期的にカミュがレジスタンス活動していた時期と一致している。
そんな、言論で戦うヒーロー的存在だったカミュだが、アルジェリア独立問題や、サルトルとの論争によって孤立してしまう。
その中で書いた小説『転落』や『追放と王国』は『異邦人』とは異なる、小説家としての新境地を開くものだったという。自分はペストよりもそちらの方を読んでみたくなった。
自分のように、カミュの作品は少し知っているが、カミュの人となりは良く知らない、という人に本書はうってつけ。作品理解、人物理解をさらに深める事ができるだろう。