もし誰かに「オススメの本は?」と聞かれたら。
とりあえず自分の知っている中から、今のその人に合いそうな本を探すだろう。
でも本当は「自分で探すのが一番いいよ」と言いたい。
自分で自分の読む本を選べることが、読書という行為が持つ最大の長所の一つだ。
誰かに読めと言われた本を読むだけだったら、一方的に情報を与えられるだけという意味で、テレビやインターネットとあまり変わらない。読書ならではの強みが一枚失われてしまう。エースを欠いた野球チームみたいに。
本屋や図書館の本棚を見て、面白そうな本を探す。読書の喜びはそこから始まる。
もちろん、誰かがオススメする本を読む、というルートもある。自分も、誰かのオススメ本を手に取る割合は増えている。自力で探すのって疲れるから。
でも結局自分にフィットする本は、実際に自分で実物を見て探すほうが、結果的には効率が良かったりする。比較検証して確かめられるわけじゃないので、あくまで実感がベースだけれど。
読書という行為は「本棚を読む」ことからすでに始まっている。ちょっとカッコつけた言い方をすれば。
どんな人でも、読書をしたいという意志がほんの少しでもある人であれば、本棚の中から「読みたい」と思う本を探すことができる、と思う。多分。
重要なのは、あまり頭で考えないことだ。
背表紙を見て、ほんのちょっとでも気になって、手に取って、表紙のデザインやタイトルや著者名を見て、「この本を読みたいな」という気持ちが少しでも湧いたら、読んでみたらいい。
最初に感じた「読みたい」という気持ちが、その本を読み通すための一番のモチベーション、あるいは燃料になる。
そしてその気持ちは、「持とう」という意志で持てるものではない。内側から勝手に湧き上がってくる感情だ。
逆に「あまりピンとこないけど、タイトルとか内容が自分向きっぽいから、とりあえず読んでみるか」みたいな、頭で考えた理由で読み始めた本は、読み通すのに苦労することがかなり多い。
電子書籍には試し読みという便利な機能がある。もちろん自分も大いに活用している。
しかし「本を探す」という目的に関して言えば、「本棚」というデバイスの利便性は「電子書籍」を上回っている。
一定以上の大きさの本棚に、直接足を運ばなければいけない、という物理的条件さえクリアできれば、一覧性や閲覧速度といった本棚が持つメリットに、電子書籍は到底敵わない。
自分の場合、読みたい本に出会うと、その本がビカビカと光り輝いて見える。
もちろん物理的に本が光ってるわけじゃない。技術の進歩によって紙の本にバックライトがついてくれたらさぞかし便利だろうけれども。
自分の内側にある期待感が、ある本を、他の本とは全く異なる際立ったものに見せる。猫が動くものを注視するみたいに、その本から目が離せなくなる。理屈ではなく感覚で。
その期待が期待が常に叶えられるわけではもちろんない。実際に読んでみたら、なぁーんだ、となることもしばしばだ。でも時には期待を大きく上回ってくれる本に出会える。だから読書はやめられない。
人は「自分の力で見つけた」と感じるものに、客観的な価値以上の価値を見出す。苦労して何かを得たという経験そのものに喜びを見出す。本についてもそれは当てはまる。
それは単なる人間の脳あるいは精神のメカニズムでしかないのかもしれない。でもいいじゃんか、それで読書が楽しくなるんなら。というスタンスでいたい。