かつて、お笑い芸人のケンドーコバヤシ氏が、大阪から上京しようとしている後輩芸人に対してよく使う「くだり」があった。
「東京に来てもいいもんなんてない。東京にあるのはたった3つだけ。美味い食い物、やりがいのある仕事、いい女。この3つだけや」とボケて、それに対して後輩芸人が「欲しいもの全部ですやん」とツッコむ、というものである。
それに則すのであれば、本作の主人公が危険な仕事によって得るものは「キモチよくなる食べ物、やりがいのある仕事、気の合う仲間」の3つ。ある種の若者が求めているもの全てを、彼は手に入れるのである。身の安全を代償に。
ノリのいい若者言葉でつづられる本作『みどりいせき』。特に冒頭15ページくらいが一番読みづらいのだけれど、おそらくそれは著者の意図したところであって、「こういうノリなんで、よろ」という「カマし」なのだろう。そこをなんとか読み通すことができれば、だんだんとこの独特の文章が身体に馴染んでくる。むしろ読むのがどんどん気持ちよくなってくる。
その言葉づかいの巧みさには目を見張るものがある。ちょうどいいところにちょうどいい言葉がハマっている。ところによっては「不良気味の人たちがこんな語彙を用いるだろうか?」と疑問を持つ人がいるかもしれないが、それはあえて違和感のある言葉を混入させるという小説的なテクニックであって、決してミスなどではないだろう。
その豊かな言葉づかいを用いて彩られる情景描写には、多層的な意味が畳み込まれており、読むほどに複雑な味わいをもたらす。たとえば冒頭に出てくる学校の避難扉がなにを暗示しているか、なぜ最初は開かず、次に開くのか、といったことを感じとろうとすると、本作を読む楽しさは倍増する。
ストーリー構成も緻密に組み立てられており、実に全然ムダがない。なにも知らない不登校気味の高校生が、非合法の世界に踏み込んでいく、という流れによって、読者が自然に主人公目線で物語世界に入り込んでいける。そこからはノンストップ。彼らの行く末まで目が離せなくなる。
闇バイト、という言葉が使われるようになって久しい。闇営業、闇カジノなど、非合法なものに「闇」と名付けて蓋をするのが安易なレッテル貼りであることは少しでも想像力のある人間ならすぐにわかる。
そんな「蓋」に抗うように本作は、冒頭に書いたような、「闇」の向こう側にある人と人のつながり、あるいはハッピーな感じを先入観なしに表現していて、そこに偽りがない。
しかし同時に、秩序無き場では心が寒くなるような直接的暴力が秩序となり、そこは必ずしも住みやすい場所ではない、ということも描写されていて、公平だ。
「勧善懲悪」「因果応報」みたいな安直な物語に回収されることなく、一人の人間が苦闘を通じて新しい希望をつかむまでを描いていて、とてもまっすぐでいいなと思う。
ただ少し気になるのは、本作が「悪い人ほど繊細で思慮深い」「凡人は無思考・無感覚」という人間観を採用しているように見えることで、一見するとそれは現実の価値を転倒させようとしているかに見えるけれど、実際は「善人が善をなし、悪人が悪をなす」ような凡庸な物語を逆転させただけなのではないか、と思える。そこにも作者の企みがあるのだろうか。自分にはその企みが発見できなかった。
多くの市井の人々が法を犯さないのは、基本的には自らの身に危険が及ぶのを避けるためであって、車の運転中にガードレールを避けるのと同じである。
そこには確かに「法に束縛されている」という側面はある。なににも縛られず、なにが正しいかは自分自身が決める、という態度こそが、本当の自由、なのかもしれない。本作のテーマの1つである「死ぬのが怖いという気持ちと、そこから自由になるためにはどうしたらいいか」ということにも通じている。
しかしそれはそれとして、自分から進んでガードレールに突っ込んでいく人は、ハタから見るとただの破滅願望の持ち主にしか見えない。
しかもそういう人に限って、市井の人々を見下し優越感を得ていたりする。俺はオマエラと違って自由なんだ、と。薬効によって気持ちよくなっただけなのに「私は悟りを開いた」とか言っちゃうような人がその典型である。
確かにビートルズをはじめとしたミュージシャン達はああいったものを使って楽曲を作ったが、その足元には、特になにも成さずただただ破滅していっただけの人々が無限にいるわけで、一部の成功例を正当化に使うのは論理的に間違ってる。
主人公は、最初、道を踏み外した人を見下していたが、やがて自らが道を踏み外すようになると、今度は市井の人々を見下すようになる。しかし最後には、結局まだ自分が他人を見下していたことに気づき、それを恥じる。といってもそれは教訓じみた思考ではなく、その瞬間の感情の発露として、であるため、押しつけがましくはない。
でも本作には、主人公が見下していたような市井の人々の詳しい有り様が、まだ本当には書き込まれていない。最後に山本くんのボールをキャッチしようとしたことが、何かそのことと関わっているようにも感じられるけれども。
事実として、人はだれかを見下さずにはいられない生き物なのかもしれない。とはいえ「悪そうなやつは大体友達、悪くないやつは敵」みたいな単純な図式に貫かれた小説は、大抵あまりよろしくないものになりがち。本作はそうなってはいないが、そうなる手前で終わっているだけ、という印象もないではない。杞憂かもしれないけれども。
