チャンドラーによる「フィリップ・マーロウもの」の長編を村上春樹の翻訳で発表順に読んでいる。これで4作目。
本作のマーロウはいかにも探偵小説の主人公らしい立ち回りを見せてくれる。推理の面でもアクションの面でも。
ストーリーの根幹的なトリックはストレートなもので、ミステリ要素を含んだ作品に少しでも触れたことがある読者なら簡単に気づいてしまうかもしれない。それこそ「名探偵コナン」なんかを読んでいる人ならすぐにピンとくるだろう。
しかし終盤に向かってジェットコースター的に新たなできごとが起こり続け、ギリギリのところを切り抜けるスリルを味わうことができ、最後まで退屈せず楽しめた。
などと言いつつちょっと恥ずかしい話をすると、終盤でマーロウがとある人物に対して仕掛けた「トラップ」に、読者である自分もまんまと引っかかってしまっていた。途中まで「あれ、スカーフ2つあるの?」と思いながら読み進めていた。たまにミステリ小説を読むとこういうことになりがち。ミステリ小説経験が少ないからか、それとも根本的にいわゆる伏線みたいなものを覚えておくのが苦手なのか。
そのように、探偵小説としての仕掛けや魅力が豊富な一方で、チャンドラーお得意の、読む人の心に迫るような叙情的な表現はやや少なめかもしれない。あとがきで訳者が書いている通り、マーロウが他者の人生に深く立ち入るような場面が本作にはほとんど無いからかもだろうか。序盤のビル・チェスの独白にはちょっと心をうたれたけれども、自分にとってはそこが一番の山場だった印象。そこに至るストーリー展開も結構唐突だったし。
ややバイオレンスな描写が多めなのは、作中のいたるところに顔をのぞかせる、戦時社会の描写(時代設定が第二次大戦中なため)との呼応を感じる。
他の「マーロウもの」と比較して突出している部分は少ないないものの、「マーロウもの」らしい魅力には充実している。それが本作に対する今のところの自分の感想。
探偵として生き延びるための秘訣をマーロウは「できるだけごまかしに引っかからないように、できるだけプロの強面の連中を恐れないようにしてきただけさ。」と語る。力を振るうだけでなく、力に屈しないこと。例え相手が権力者や悪漢であっても。それが彼の方法論なのである。
探偵小説の主人公としてはかなり「行き当たりばったり」の捜査方法をとる。でもフィクションならではの未来予知じみた超人的知性を持っていないからこそ、マーロウのタフさが際立つ。寡黙すぎて時々なにを考えてるのかわからなくなるのが、読者として困る時もあるけども。
「「ハードボイルド」という言葉(用語)、またそれが指し示す領域そのものが、今日にあってはもうそのリアリティーと有効性を徐々に失いつつあるのではないかという気がしないでもない。」とあとがきにて訳者は書いており、その状況はさらに進行しているように思える(本書出版は2017年)。
現代のフィクションを鑑賞する感覚でチャンドラー作品を読むと、男女の役割が固定的なのが読んでいて少々辛いところ。今自分がチャンドラーを読んでいるのは、好きとか嫌いとかでなく、どんな小説なのかを確認するためという意味合いが強いのだけれど、もし今後チャンドラーを大好きになったとしても、留保なしに「チャンドラーが好きで……」と誰かに言うのはちょっとはばかられるものがある。「文学作品としての歴史的価値がどうのこうの……」などと言い訳している心の弱い自分の姿が目に浮かぶ。
それでもチャンドラー作品には時代を超えた普遍性がある、と言いたい。それは「この世界に潜む、時に隠微な、時に圧倒的な悪から、いかに生き延びるか」を描いているからで、それは村上春樹がチャンドラー作品から受け継いだテーマでもある、と思う。
例えとして合っているかはわからないけれど、美術史に残るような宗教画を「宗教の絵だから」という理由で鑑賞しないのは、鑑賞態度として単純にもったいない。同じように「ハードボイルドは前時代的だから」という理由でチャンドラーを読まないのはかなりもったいないことなのではないかと自分は思う。
ちなみに銃を突きつけられたマーロウが「安全装置が外してないぜ、と言う昔からおなじみの手がある」というセリフを言う。メタルギアソリッドで見たやつ。これが元ネタというわけではなく、本作が出版された時点で「おなじみの手」だったのだろう。実際、安全装置という機構が誕生した時点で誰かが思いつきそうなネタではある。
