フィリップ・マーロウが主役の長編で未読のものを、原語版の出版順に読み始めて、これで5冊目。
正直に言うと、かなり読むのに苦労した。途中で一旦読むのをやめたのは、5冊読んできてこれが始めてだった。
第1作『大いなる眠り』の感想に「ストーリーが複雑な割に、その複雑さがあまり面白さに寄与していない」と書いたのだけれど、本作はそれが極まっている感がある。
本来であれば読者を先に読み進めさせるためのものであるはずの、殺人事件のプロットが、ほとんどマーロウの活躍を演出するための舞台装置になってしまっている。そのように感じた。
あまりにも理解が困難なので、途中から事件のプロットを理解するのを放棄して、文章を味わうことだけに集中することで、ようやく読み通すことができた。じゃあ他の作品は理解できたのかと言われるとかなり怪しいのだけれど。
でもまぁ、そのへんの事情は訳者あとがきに書かれているので、ここで繰り返すのはよそう。
そんな複雑怪奇なプロットでありながら、チャンドラーの人間描写、情景描写、セリフ回しの精度は着実に進化を重ねている。その熟練ぶりは投球術だけでバッターを手玉に取るベテランピッチャーを思わせる。
「小説において重要なことは、どれだけ読者の心に印象を残せるかどうかだ」というようなことを書いていたのも確か村上春樹だったハズだが、本作の心に残るシーンはなかなか多い。
まず冒頭から、マーロウはオフィスの中で暇つぶしに蝿を追い回している。あの超絶カッコいい私立探偵フィリップ・マーロウが、である。当時読んでいたファンはショックを受けたんじゃないか。
そんなマーロウの元を訪れる依頼人のオーファメイ。世間知らずの田舎娘、と思いきや、どうもなにか企んでいる様子。マーロウには「とんでもないかまととの嘘つき」と見透かされる。
そこから様々な登場人物がマーロウの前に立ち現れ、マーロウと「オシャレなムダ話」を繰り広げ、合間に事件の真相について話し合う。いちいちムダ話をするせいで事件のプロットが読者に伝わりにくいんじゃあないか、と思うんだけど、ムダこそが本作の味わいどころ。マグロでいえば「トロ」にあたる。脂っこすぎて口の中が不快になる人もいるかもしれないけれども。
妙に気品のある警官に出会ったと思ったら、いつの間にか姿が消えていて、あれは現実か、それとも白昼夢だったのか、最後までわからない。みたいな、これまでのマーロウものにない突拍子もないエピソードが挟まれたり。
やたらとハリウッドの映画業界に対する批評的な意見をマーロウが抱くのは、著者が数年間ハリウッドで脚本家として活動した経験が反映されているとのこと。ギョーカイの裏側をのぞいて、すっかり興冷めしてしまったのかもしれない。
とはいえマーロウは第1作から様々なものに幻滅しつづけている印象があり、ハリウッドに対する幻滅もその一環であるように思える。その「幻滅気質」が晩年のチャンドラーの生活を形作ったのだとしたら切ないことだけれども。
ものすごく細かい話をすると「フラック」と「フレンチ」と「フレッド」の3人が会話するシーンがあってめちゃくちゃ混乱した。多分言語でも「F」で始まるからまぎらわしいんじゃないかと思うけどどうなんだろう。
本作の1969年の映画版にはなんとあのアクションスター、ブルース・リーが出演しているとのこと。昔Youtubeでたまたま見た、ブルースが部屋をむちゃくちゃに壊しまくるシーンは、なんとマーロウとの共演だったらしい。知らなんだ。
マーロウを脅しに来るギャング役とのことで、おそらく原作でのジョセフ・P・トードとアルフレッドの立ち位置だろう。もしかしたらバルウの役も兼ねているのかもしれない。そう考えるとやっぱり原作は登場人物が多すぎるのかも。
次はようやく名作と名高い『ロング・グッドバイ』。こちらはかなり昔に一度読んでいるけれど、全然内容を覚えていないので再読する予定。最近出た(と言っても2022年)創元推理文庫版もちょっと気になっているけれど、とりあえず村上春樹訳を読もうと思う。


