rhの読書録

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カソウスキの行方/津村記久子

カソウスキの行方

カソウスキの行方


身も蓋もない言い方をすれば、下流文学、あるいは「中の下」流文学。うだつの上がらない、結婚もままならないOLの、些細な日常。そんな小説だ。
なぜ身も蓋もない物言いをしたのかというと…なんでだろう。なんでかな。
それは多分、この小説が「いい意味で」身も蓋もない小説だからではないかと思う。
世に純愛・激愛を描いた小説は数知れないが、そんな愛は全てまがい物である…と思いきや案外そうでもなかったりする。
どういうことかというと、人はみな、自分は特別な人間だと思いこみたがる。そのような特別感を恋愛に持ち込むタイプの人々は、自分が純愛・激愛・不貞愛をしていると思いこむ。つまり当人にとっては特別な純愛・激愛になるわけだ。恋愛なんて昔から同じことの繰り返しなのに。
かく言う僕も、決して超然を決め込んでいるわけでない。むしろ自分を含めた人類の愚かさを嘆いている。おろろ。
それはよいとして、この小説。一種の恋愛小説であるにもかかわらず、特別感一辺倒のハーレクインまがいに陥ってはいない。
なぜか。うーん。なんでだろう。なんで?なんでなの?教えて?
と、自分の設置した問いを他人に丸投げしたくなるのを押さえて考えてみるに、キーワードは「うだつの上がらなさ」ではないかと思った。
主人公のOLはヘマをやらかして辺境の工場に左遷され、さえないショッピングモールをうろつき、風邪を引いて寝込んだりする。うだつ、上がらねぇ。
そんなOLでも、日々仕事をし、恋愛をしたりする。そういうことをこそ、この小説は書きたいんだと思う。書かなきゃいけなかったんだと思う。
そういうのって、なんか良くない?