rhの読書録

読んだ本の感想など

アメリカ 村上春樹と江藤淳の帰還 / 坪内祐三

 サブタイトルの「村上春樹」に心を引かれてたまたま手に取った本。開いたら『ライ麦畑でつかまえて』の話をしており、ちょうど自分が『赤頭巾ちゃん気をつけて』を読んだばかりで、『ライ麦畑』について考えていたところだったので、読んでみようと思った。

 『風の歌を聴け』で村上春樹に心酔した本書の著者の坪内祐三。その後、小説作品は追わなくなったものの、村上春樹によるフィッツジェラルド『偉大なギャツビー』の翻訳を待望していたという。

 しかし村上春樹が翻訳したのはサリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』。それはなぜか? というのが本書の前半の章の執筆動機であるように思われる。

 まず本書冒頭では意外な事実が明かされる。村上春樹は元々『ライ麦畑』があまり好きではなかった。作家デビュー直後のインタビューであまり好意的でない発言をしていたのである。

 サリンジャーはつまんない。それにしても、今のアメリカ文学ってのは、どっちかっていうと日本の純文学に近づいてるんじゃないかって気がする。とくにユダヤ人作家ね。ソール・ベローとか……面白くないですね。
(『カイエ』一九七九年八月号インタビュー「私の文学を語る」より)

 近年はさすがにここまであけすけな言い方はしていないが、『ライ麦畑』翻訳の経緯について語った対談『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』の中では「はまったというわけではない」が、「不思議と心に深く強く残ってる」という形容で『ライ麦畑』を読んだ時のことを回想している。

 しかし2003年に翻訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を発表している。そこにどのような心境の変化があったのか?

 村上春樹は1991年にプリンストン大学に客員教授として招かれ、初めてアメリカで生活することになった。著者は、その経験が『ライ麦畑』への態度に変化を与えるきっかけになったのではないかと推察する。

 『ライ麦畑』のことをかつて村上春樹はブルジョア的であると批判した。つまりその作品の風俗小説的な部分に二十代三十代の村上春樹はたぶん心ひかれながらも反発した。
 そういう彼が四十を過ぎてアメリカに長く暮らし、「現実」のアメリカを知ったのち、「一人の男の子の内面的葛藤」、「オルターエゴ」を描いた作品として『ライ麦畑』を再発見し、その作品を新訳する(それはまた、豊かなモノにかこまれた日本の若者たちの内面が、ホールデンを必要としたかつて(原文は「かつて」に傍点)のアメリカの青年たちの内面に追いついたことへの作家的直感であるのかもしれない)。
(「アメリカ 村上春樹と江藤淳の帰還」坪内祐三)

 その村上春樹の変遷と、文芸評論家、江藤淳のアメリカ滞在の経験及びその変遷を対比するのが本書の構成となっている。

 村上春樹は映画や小説、音楽を通して、現実からの「逃避空間としてのアメリカ」のようなものを描いていた。現実のアメリカに接したことで、幻想としてのアメリカは壊れたかもしれないが、作家としては新たなステージに進むことになった。というようなまとめかたは図式的過ぎるかもしれないが、そのような視点で見ると村上春樹文学の「デタッチメント」から「コミットメント」への流れも見通しが良くなるかもしれない。

 一方江藤淳は、敗戦を通してアメリカに対して(複雑な感情、という本来の意味での)コンプレックスを抱いていたが、アメリカに暮らしたことで「幻の日本」を発見した、と著者は語る。

 そして最後の章「村上春樹の新訳『グレート・ギャツビー』・小島信夫の死・大江健三郎」では、2006年の新訳『ギャツビー』について書かれる。素晴らしい翻訳だった、とストレートに激賞している。



 かつてアメリカ文化は日本人の憧れだった。なんで自分たちが戦争に負けた国に憧れるの? と、今の子どもたちは思うのだろうか。いや、そもそも日本がアメリカに負けたことを知らないだろうか。

 かく言う自分は、アメリカ文化へのあこがれの「残滓」というか「余波」というか、そんなのようなものを吸って育ってきた世代だ。

 映画といえばハリウッド映画、音楽といえばアメリカのロックやポップスが主流。そういう空気がまだ残っていた。

 アメリカの文化を取り入れることがある種の日常だった。その意味でもはやそれは「憧れ」では無くなっていたのかもしれない。戦後に生まれた「憧れ」という莫大な熱の予熱。あるいは激しい運動の後の慣性。

 今はどうだろう? 

 若者文化は確実に内向き、ドメスティックになっているように見える。インターネットやSNSによる情報の氾濫。日本の経済的斜陽。アメリカの政治的混迷。などとそれらしい理由を分析してみることもできなくはないが、しょせんは俗流分析に過ぎない。

 とはいえ、もちろん未だに日本の対米従属はまだ続いている。対米従属。慣れない言葉を無理して使っている。

 江藤淳という人は、後世のただの読書好きである自分からすると、「日本の文学はオワコンだと言ってどこかに行ってしまった人」という印象がある。「じゃあその後生まれたオレたちはどうすりゃええねん」という気持ちになる。実際はそんな人ではないのかもしれないが。

 同時に彼自身が対米従属によって発したひとつの症状であったようにも見える。っていうかそんなようなことを誰かが言っていた記憶がある。加藤典洋だったか。

 戦後の日本には対米従属という「大問題」があって、そのことについて喧々諤々議論をしていたが、それは今の視点で見ると精神性の問題であって、「このままアメリカの言いなりでいいのか」というプライド、自尊心の問題であったようにも見える。

 翻って今の日本には、もっと物質的にのっぴきならない問題が押し迫ってきているように見える。様々な問題を対米従属に一元化することは到底できないような諸問題が。

 しかしだからといって、かつての「対米従属という大問題」が、現代に生きるわれわれにとってどうでもいい、とはもちろんならないだろう。どんな時代にもその時代の問題があり、真剣に悩んでいるわけで。

 例えば80年代には「ブルジョアの憂鬱」の話に見えていた『ライ麦畑』が、00年代になって別の意味を持つように、そこから新しい意味を見出すこともできるだろう。