率直に言うと、読み終えて結構辛い気持ちになった。それはなんでだろう。
差別はいけない。それは正しい。それはみんなわかっている。差別のない世界を目指すべきだ。
でも正しいことを言い続けることで分断が生まれ、正しさに対する反発を煽る政治家が登場し、その政治家が暴力を行使し、「力こそ全て」の世界を作ろうとしている。だとしたら人間はなんて愚かなんだろう、と思わないわけにはいけない。
と、しかしそんなネガティヴな気分にいつまでも浸っていてもしょうがない。それでは誰かの思うツボだ。誰かって誰なのかはわからないけれども。
差別はいけないと言い続けること、正しいことを言い続けることが、どのような構造によって発生し、どのような結果をもたらし、どのような世界を作ったか。本書はそれを考察していく。
そのために本書は「アイデンティティ」と「シティズンシップ」というふたつの論理を導入する。
アイデンティティ。つまり「自分が何者か」に基づいた権利を重視する立場。国家とか職場とか家族とか、あるいは性別とか人種とか。
シティズンシップ。市民、個人、ひとりの人間としての権利を重視する立場。
こう書くと、自分なんかは「アイデンティティ=保守・右翼」「シティズンシップ=リベラル・左翼」なのかと短絡的に考えてしまうけれど、そういう議論は出てこないし、そうでないことは本書を読めばわかる。
たとえば反差別をうったえる言説であっても、アイデンティティに基づく言説と、シティズンシップに基づく言説がありうる。
本書によるとアイデンティティは民主主義、シティズンシップは自由主義に対応しており、そして本来それらは相容れないものだという。資本主義の成長がその矛盾を覆い隠してきた。しかし成長が止まり、あちこちから矛盾が吹き出し始めたのが現代である、と。
つまり「自由民主党」という党名はそれ自体が矛盾しているのか! というような話は本書には出てこない。多分どうでもいい話だからだろう。
シティズンシップの論理を用いることによって、差別の当事者でない者が差別を批判することが可能になった。誰もが同じ「シティズン=市民」として、平等な権利をうったえるという理路が成り立つようになった。
しかし同時にそれがネットにおける「炎上」の文化を加速させ、法律よりも私刑が抑止力になるようなある種のいびつな構造を作り上げてしまった。
さらに本書は、「ポリコレ」という言葉の発生と変化、ポリコレ批判におけるアイデンティティとシティズンシップの関係、ハラスメント告発が持つ論理、道徳や統治功利主義がみちびく新しいかたちの差別、ポリコレがうっとおしい理由、そして天皇制への言及などについて考えていく。
どの章も、みんなが見て見ぬふりをしてきたこと、見ていたけどなんもせずにスルーしていたことを実に詳らかに詳説している。
ただ議論の性質上、どうしても主にSNSを中心とした言説空間での言説を前提としているように感じられてしまい、「もうSNSの「議論」とか「炎上」とかをなるべく目に入れずに生きていきたい」と考え始めている自分にとっては、全般的に忌避感のあるトピックだったりもする。
そういうのって、よくない。過去を直視することが知性の正しい運用であり学ぶことの基礎中の基礎だ、ってことはわかっている。
でも例えば一部の反ポリコレゲーマーが「あのゲームの登場人物の外見が美しくないのはポリコレのせいだ!」と叫び、自分たち好みのゲームの売上が好調なのを見て「ポリコレ大敗北w」みたいな動画を作ってYoutubeに投稿しているのを見かけたりすると、心底そういう議論全体から距離を置きたくなってくる。高原でハーブティーでも飲みたいような気分になってくる。
わかってる。自分がネットの暗黒面に毒されてるだけだってことは。だからこそ距離をとりたいと思っている。
そしてそのような「もうなるべく余計なことを言いたくないな」という自分の中にある心理が生まれるメカニズムすらも、本書は解説してくれている。ハラスメントは「意図」ではなく「結果」によって成立する。だから「なにも言わない」のが正解になる。わかりにくく言うとそういうことになる。わかりやすく、ではなく。わかりたい人はぜひ本書を読んでください。
一方でSNSが個人をエンパワーしてきた事実を見過ごすわけにはいかない。ものごとを相対的に見るための視点は大いに越したことはない。ただ今は、SNSが強すぎるように感じるというだけで。そしてそう感じるということはやっぱり自分がSNSに毒されてるってことなんだろう。
本書で(肯定的というより中立的に、だけれど)引用される内田樹は「正しさに固執すると正しさは実現できない。正し過ぎる人は正義の実現を妨害することがある」と旧Twitter(現X)に書いている。
たいへんもっともなことを書いています。「正しさに固執すると正しさは実現できない。正し過ぎる人は正義の実現を妨害することがある」ということを『ためらいの倫理学』から25年説いてきましたが、カナダに同じ考えの人がいました。 https://t.co/rZqEatVv5U
— 内田樹 (@levinassien) 2025年4月7日
正しさだけで世の中が良くならないのはなぜか、と考えている人に、本書はその構造を解くヒントを教えてくれる。ただし答えはそう簡単には見つからないだろう。現実のほとんどの問題がそうであるように。
そして同時に、正しさが差別を温存することもある。日本に残る諸制度のように。それは人間が不完全であるがゆえに無くならない制度なのかもしれない。いちばん偉い人が上にいるから、余計な争いが起こらない。もしいなかったら、終わりない権力の奪い合いが起こるかもしれない。
そんな人間に絶望すべきなのか? いや、結局、絶望だって気分にすぎない。人はそう簡単に変わらないのかもしれないけれど、少なくとも知ることはできる。人がいる限り、知ることでなにかが変わる可能性はいつだって残されている。「差別はいけない」のその先を、本書は知ろうとしている。
