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思考だだ漏れ読書録

とあるブログ書きの読書記録。

考える練習/保坂和志

考える練習

考える練習


 考えるためにはどうしたらいいのだろう。なんのために考えるのだろう。ちょうどそんなことを考えているときに、本屋でこの本を見かけた。ビビった。偶然?シンクロニシティ?って別にオカルト的なことを信じているわけじゃないけど。むしろ、考えるということについての無意識的なアンテナを僕が張っていたところに、ちょうどこの本が引っかかった、といったところだろう。
 保坂和志という小説家の小説は、正直に言うと一冊もまともに読んだことが無い。「カンバセイション・ピース」をちょっとだけ読んだが、しんどくて途中であきらめてしまった。今調べてみたらあの小説、どうやら保坂和志初心者向けではないらしいので、今度は別の作品から挑戦してみたい。
 小説は読んだことは無いが、保坂和志の小説論は結構読んでいる。「書きあぐねている人のための小説入門」や「小説の自由」などは、結構前に読んだので内容は覚えていないが、面白く読んだように記憶している。こーゆーとき、図書館で借りて読むんじゃなしに買って読めばよかったなぁ、と思う。
 そしてこの『考える練習』は、もっと一般的に「考える」ということについて語ったものをまとめたものである。
 聞き手が若年の(といっても30代だけど)編集者であるためか、一読すると説教臭く感じる部分もある。
 しかし単なる説教になっていないのは、保坂和志という人が、小説を、それも、ことばや社会やそんなようなものを、時に疑い、時にそれらと戦うような小説を書き、書くことを通じて様々なことを考えてきたから、なのではないかと思う。いや、一冊も読んでないんだけどね。それくらいのことは大体わかる。わかると思う。
 例えば、この本で彼が言いたいことの一つは、「常識を疑え」ということなのだけれど、それ一つとっても非常に難しいことである。
 と、そもそもこんな風に、一冊の本のなかから「言いたいこと」を抽出することが可能であるということ自体が、間違った常識である、ということを、この本の中で保坂和志は言っている。
 あと、ネットに文章やレビューを書く、ということについても言及していたりして、なんか今書いてるコレもちょっと書きづらい。
 そんな風に、モヤモヤする話が多く、結論めいたものも無い、というか意図的に避けている本なので、「本を読んで教養を高めたい」とか、「本を読んでカネを儲けたい」とか考えている人にはあまり向いていない。
 でも、この本を読んだ僕は、自分の中で何かが高まってくるのを感じた。それは、自分の頭で考えるということの、大切さ、というとなんとなく功利的な響きがあるのでよくないのだが、考えることへの義務感、というのもやっぱりなんか違うんだけど、とにかく「考えることをやめちゃいけないんだな」と素直に思えたのである。
 自分の頭で考えることが大事だ、なんてことはよく言うが、それがキチンと出来れば何も苦労することは無い。うっかりすると誰かの考えを自分の考えだと思い込んでいたり、考えと考えの間にハマりこんでしまったり、陰謀論に走ってしまったりする危険がある。
 本当に自分の頭で物事を考えるということは、進学したり就職したり資格を取ったり昇進したりというような、ステップアップ式のロールモデルとは全然違うのだと思う。多分。
 もっとこう、行ったり戻ったり、曲がったり歪んだり、伸びたり縮んだり、そういう無次元的なものの考え方が、よりよく生きるために必要なのではないか。いや、「ため」とか「必要」とかいうのも、「常識」が生む固定観念の産物なのかもしれないけれども。
 この本は、何かに疑問を感じている人に取っては、最良の本になりうるだろうし、逆に、なんにも疑いたくない、現状に100%満足している、という人は、むしろ手に取らない方がいいんじゃないか、とさえ思う。いや、本当は、そういう人ほど読むべきなんだろうけど。