rhの読書録

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ぼくの人生案内 / 田村隆一

ぼくの人生案内

ぼくの人生案内

 詩人・田村隆一の名前は、高橋源一郎の本で知った、と記憶している。具体的にどの本だったかは覚えてないが。

 その田村隆一が、若者の悩みに応える、というのがこの本。


 出版は1998年だが、平和な時代の若者の悩みなんてものは、昔も今もそれほど変わらない。恋愛、家族、学業、仕事、就職、身体、容姿。ほとんどがそのいずれかにあてはまる。

 もっと身も蓋もないことを言えば、人間の悩みの原因は、全て「理想と現実のズレ」という一点に集約される。脳が勝手に拵えた理想が、現実と食い違っているので、そこに苦しみが生じる。不毛といえば不毛である。

 しかし一見不毛に見える「現実を理想に近づけたい」という意志こそが、人間のあらゆる行動の原動力となっていることもまた事実。その意志に駆動されて人は、なにかを生み出したり、壊したり、育んだり、損なったりする。構造的には、お腹が空いたから、ごはんを食べる、というのと変わらない。


 というような一般論はいいとして、本書で田村隆一は、若者の悩みに、真摯かつフランクに答えていく。

 まるで「近所の兄ちゃん」のような砕けた語り口だが、どこを切り取っても、経験と思索に裏打ちされた言葉があふれだす。いや、本当は、言葉を切り取ったりしてはいけないのかもしれない。ぜひ本書を手にとって、そのままの形を味わっていただきたい。

 (女の人を前にすると緊張してしまう、という童貞の少年に対して)十八歳の童貞クンよ、今、君がかかえている女性に対する緊張感こそが、君をバランスのとれた社会人へと導いていくんだよ。その緊張があるおかげで、君は女性に対して礼儀正しくなるし、ひいては女性のたくましさや偉大さというものを理解できるようになるんだ。ちなみに、ぼくのように枯れてしまうと、緊張なんてもう微塵もありはしない。

 フラれるっていうのは、ひとつの教訓なんだ。若いうちは自分から進んででもフラれて、うまいフラれ方を身につけろ。そのうち必ず、君にふさわしい恋人が見つかるよ。

 (テストのたびについカンニングしてしまう、という中学生に対して)この際、その才能が本物かどうか、高校入試でも挑戦してみたらどうかな。カンニングの「実力」を試して、うまくいったかどうかを僕に報告してくれないか。悩みは、それからゆっくり伺いましょう。

 亀の甲より年の功、なんて言葉はもうすっかり死後になってしまったのかもしれないが、ここには確かに、年齢とともに経験を積み重ねた人でなければ言えないような、大切なものが含まれている。

 ものごとを違った視点から見るということは、とても大切である。学校では教えてくれないことであるが。なぜ教えないかといえば「そもそもなんでオレたちは勉強なんかしなきゃいけないんだ?」という疑問を生徒に持たせないためである。余談。

 老人は、余命が短い。しかし、未来が無いわけではない。余名が短いということは、何をこの世に残し、何をこの世から持ち去るか、その選択を迫られているということだ。そしてその選択は(あえて言うまでもなく)常に全ての生きている人に迫られているにもかかわらず、普段はなるべく意識しないようにしている選択でもある。

 そう考えると、「老人の視点でものごとを考える」というのは、生きることについて考える上で、とても重要なことを教えてくれるのではないか。


 スティーブ・ジョブズは、毎晩鏡に向かって「もし明日死ぬとしても、今日したことは正しかったと言えるだろうか?」と自分に問いかけていたそうである。

 もちろん、みんなが同じようなことをすべきだとは思わない。死をどのように捉えるかは、生をどのように捉えるかと同義であり、それは極めて個人的な問題だ。

 ポイントは、視点をずらす、というところにあるのだろう。そして優れた「人生相談」は、読んだ人の視点をきちんとずらした後、ちゃんと元に戻してくれる。たとえ戻る場所が同じだったとしても、そこから見える景色は、少し違っているはずだ。

 この本が出版された6ヶ月後の1998年に、田村隆一は亡くなったそうだ。彼が残していったものは、一体なんだったのだろうか。とりあえず詩集を読んでみようかな。