rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

ずぼら瞑想 / 川野泰周

ずぼら瞑想

ずぼら瞑想


 瞑想やマインドフルネスに興味がある人は多いのではないかと思う。かくいう自分もそのひとりだ。

 かつては宗教的な精神修行の一環として行われてきた瞑想。そしてそれを科学的かつ現代的に解釈したのがマインドフルネス。

 でもなかなかやる機会がないし、本などを読んで個人的にやってみようとしても長続きしない。

 そんな時に見つけたのがこの本。前書きに、「ずぼら」な人に向けた本だ、と書かれており、まさに自分向けかもしれない、と心を惹かれて買ってみた。

 マインドフルネスの考え方は、今やっていることに意識を向けることで、あちこち色んな方向に向きがちな意識を休ませ、脳をリラックスさせる、というもの。

 なのでごく簡単な動作や、日常で行っていることを、いつもより細かく観察しながらやるだけで、それがマインドフルネス≒瞑想の実践になる、と禅僧であり精神科医でもある著者は言う。

 例えば最初に紹介される「ひと息瞑想」は、自分の手のひらに向けてゆっくり息を吹きかけるだけ。息の当たり方が均一かどうかをただ感じるだけでいい。

 その次の「キャベツの千切り瞑想」に至っては、文字通りキャベツの千切りをするだけだ。

 到底瞑想になるとは思えないこれらの動作も、しっかり意識を向けながら行うことで、立派な瞑想になるという。これなら自分でもやれそうだし、自分の日常の中から瞑想を見つけ出せそうな気もしてくる

 マインドフルネスで心が穏やかになれば、身体も健康になるし、人間関係も上手くいくようになって、好循環になっていくだろう、と著者は言う。


 今では大企業でも取り入れられ、実際に効果を出しているというマインドフルネス。ただこれが科学的なものなのかということについては、個人的には懐疑的だったりする。

 頭をぼーっとさせればリラックスできる、というのは、別に難しく考えなくても直感的に理解できる話だ。

 そしてマインドフルネスは、単純な動作に意識を集中することで頭をぼーっとさせるという「メソッド」としては実に有用だと思う。

 でも効果がある=科学的ではないし、科学的=絶対に安全、というわけでもない。そこのところを履き違えてはいけないと思う。

 マインドフルネスに効果がある、という部分だけを見れば実証的かつ科学的だが、そのマインドフルネスに用いられている理論に関しては、非実証的で、ときに宗教的な部分もあると思う。

 それでも、マインドフルネスがメソッドとしては有用なのであれば、存分に活用するに越したことはないだろう。


 著者はゲームセンターにあるワニワニパニックを趣味としているらしいが、例えば昔のパソコンに最初から入っていたソリティア(今は後から無料でインストールできる模様)のようなコンピューターゲームも、マインドフルネス的になるかもしれない。

 ただしパソコンやスマホのようなマルチタスクな道具はあまりマインドフルネス的でないと言える。何ごとも使いよう、というわけで。


 先日『暇と退屈の倫理学』という本を読んだ。そこで退屈というものについて少し考えた。奇しくもその本にも、本書に書かれている脳科学的な述語(サリエンシー・ネットワークなど)が出てきていたりする。

rhbiyori.hatenablog.jp

 人間が退屈してしまうのは、刺激に慣れてしまうからだ。そして人間は、太古の時代から、新しい刺激を求めるよう進化してきた。

 だが、今まで日常的にやってきた動作をマインドフルネス的にやってみると、新たな発見があったりする。新たな刺激を感じることすらある。

 と、考えると、マインドフルネスは退屈に浸りきった脳を活性化する効果もあるのかもしれない。