rhの読書録

読んだ本の感想など

鍵のかかった部屋 / ポール・オースター

 ポール・オースターによる「ニューヨーク三部作」の3作目。

 若手評論家の主人公は、幼馴染のファンショーが、ある日突然、大量の小説、詩、戯曲などを書き残して失踪したことを、彼の妻ソフィーから知らされる。

 残された作品の処遇をソフィーに託された主人公は出版社に持ち込む。出版されたファンショーの作品は広く大衆に受け入れられることとなり、ファンショーは消えた天才作家としての名声を得る。

 やがて主人公はソフィーと結ばれ、ファンショーの息子の父となり、ファンショーの作品から得られる収入で暮らすようになる。順風満帆に見えた生活は、ファンショーの伝記執筆を編集者に依頼されたことから、少しずつ歯車が狂いだす……。

 と書くとミステリー小説の書き出しのようだが、実際に本作はある種のミステリー的な仕掛けによって読者を惹きつける。

 その手管が前二作からさらに洗練されていて、よりのめりこんで読むことができた。シンプルに「早く続きが読みたい」と感じながら読んだ。

 しかしその行き着く先は、わかりやすい謎解きのカタルシスというより、出口のない行き止まりのような場所。「鍵のかかった部屋」のような。

 探偵として(のように)誰かを追いかけるうちに、まるで自分と対象が渾然一体と混ざり合ってしまうような世界にハマりこんでいる。これが三部作に共通する構造。

 ついでに言うならば、本筋と関係ないエピソード――ファンショーの手紙や、主人公が思い出す歴史上の人物の逸話など――が、よく読むと「小説を書くこと」と何かしら関係しており、かつストーリーの先を暗示しているように見える、という仕掛けも、三部作に共通している。これがポール・オースターの作風なんだろうか。


 本作で主人公が追いかけることになるファンショーは、主人公の人生に多大な影響を与えてきた人物だ。そのカリスマ性で、なにが正しいか、なにが美しいかを、言葉ではなく態度で主人公に示してきた。

 そして姿を消すにあたり、妻と子ども、そして(結果的に)地位と利益をも主人公に与えることとなった。

 ある意味で「人生のすべて」をファンショーに与えられることになった主人公は、しかしある時から自分がファンショーを深く強く憎んでいることに気づく。

 なぜ主人公はファンショーを憎んだのか? あるいはなぜ彼は姿を消さなければならなかったのか?

 そういう日本の国語教育的な「登場人物の気持ちを考える」的な読み方は、なにかと槍玉に挙げられがちだけれど、本作に関してはむしろをそこを考えることこそが、作品の「キモ」であるように感じられる。

 必ずしも、共感できることが良い小説の条件ではないけれど、本作に関しては、より共感可能であることが、前の2作以上に本作を読みやすい小説にしているのは間違いないと思う。

 主人公は、類まれな文才を持ちながら世を捨てたからこそファンショーを憎んでいたし、ファンショーは書くことそのものを憎んでいたからこそ書くことをやめ、それまでの書くためにあった人生を捨てたのではないか。

 ファンショーにとって書くことは呪いだった。最後に主人公がファンショーを「もう憎んでいない」と言ったのは、ファンショーにとっての、いや書くことそのものの「呪い」性を理解したからなのではないだろうか。

 それでもファンショーは書くことをやめられずに、最後に赤いノートを残した。彼の作品が優れていたのは、彼が書くことをとことんまで疑い続けていたからかもしれない。

 赤いノートを読んだ主人公はそこに「あまりに強い意志に貫かれた何か、あまりに完璧な何か」を感じ、「もしかしたら、結局彼(※ファンショー)が求めた唯一のことは、失敗すること、彼自身を裏切ることだったのではないか」と考える。

 書くことの苦しみ、つまりファンショーの苦しみをすでに理解している主人公は、その作品をこの世から消し去ることを選ぶ。最後の一文の美しさは、ちょっと他の言葉では言い表せない。
 


 自分は『山月記』という国語の教科書にも載っている有名な小説があまり好きではなく、それは李徴の「オレが本気出せばもっとやれた」的態度に読んでいて腹が立ってくるからで、作品の質が悪いとは特に思わないのだけれど、いわば本作は「本気出して良い小説書いたけどやっぱり虎になっちゃった李徴」の話だとも言えるかもしれない。

 「書けない苦しみ」から「書ける苦しみ」へ。それが近代文学からポストモダン文学への以降ということなのかもしれない。というのはちょっと構図化しすぎな感もあるので、やっぱり直接本作を読んで味わってみて欲しい。
 


 これでようやくニューヨーク三部作を読み通すことができた。『ガラスの街』を読んだ後にポール・オースターの訃報に触れたのだった。もっと早く読んでおきたかった。もちろん読書に早い遅いは無いと思いたいので、今後もオースター作品に触れていきたい。生きたい。とりあえず次はユリイカ2024年08月号の追悼特集をチェックしてみたいと思う。