rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

村上ラヂオ/文・村上春樹 画・大橋歩

村上ラヂオ

村上ラヂオ

 村上春樹のエッセイ集である。連載媒体はなんとあの泣く子も黙る(?)「an・an」である。
 an・anだけあって、村上春樹の語り口は軽妙。なんというか、おっさんが若者言葉を使っているみたいな風情があるが、無理している感じがないのでそこまで変ではない。
 内容も軽いし、文量も軽いので、本当にさらっとよめてしまう。パスタならぬレトルトカレーを温めながら読んだりしたが、料理の合間に読むのにちょうどいいような本である。
 軽いながらも、村上春樹らしさは発揮されている。奇妙な比喩("まるで形状記憶合金みたいに、あるいはカメがあとずさりして巣穴に潜り込むみたいに")やおしゃれワード(ローマに住んでいたという話がいきなり最初に出てくる)が頻出する。中には、短編小説みたいな読後感のものもある(「ロードス島の上空で」など)。その辺を毛嫌いしている人以外には、誰でも気楽に読めるだろう。
 僕が一番気になったのは「かなり問題がある」という一編。『風の歌を聞け』で新人賞を取ったときに出版部長(だかなんだか)の人に「君の小説にはかなり問題があるが、まあ、がんばりなさい」と言われたことや、『国境の南、太陽の西』がドイツの公開文芸批評番組で大論議を巻き起こしたという話。ちなみにこのときの番組と思しき動画が、字幕付きでYoutubeにあがっている。レスター女史、怒ってます。

 村上春樹の小説に問題があるとしたら、それは反・非社会的であるからではないだろうか、と僕なんかは考える。おしゃれワードが頻出するのは、一見資本主義的価値観に迎合的であるかのように見せかけるためのブラフなんじゃないか。
 彼は、「深い物語によって深いところで多くの人とつながることが出来る」と信じている。多分本気で信じている。それって実は、社会的には「かなり問題がある」ことなのである。なぜなら、社会の中には、他人を思うがままに動かそうとする権力があって、彼の態度はそれに反抗しよう、それから脱出しようというものに他ならないから。
 だからこそ、村上春樹を批判しようという人々の口ぶりは、みな一様に、「権威を笠に来た」ようなものになってしまうのではないか。実際、上に貼った動画でレスター女史は「文学的表現や芸術性に欠ける」という言葉で『国境の南』を批判している。
 などと、小賢しい作家批評について考えなくても、この本を楽しむことは可能なので、心配しないでいただきたい。
 ちなみに村上ラヂオシリーズは、続編がつい最近二冊発売されている。なぜ第一巻から第二巻まで10年くらい間隔が空いたのかはわからないけれど、今度そっちのほうも読んでみようと思う。
おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2

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サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3

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