rhの読書録

とあるブログ書きの読書記録。

なんとなく、クリスタル / 田中康夫

 本作を読む前の、事前知識による印象は「日本文学史に名をのこす話題作」といったところだろうか。

 1980年頃の裕福な日本の若者の生活や文化を描いた小説。

 非常に大量な注釈によって、当時の物質主義、ブランド主義、欧米礼賛を肯定しつつ批評するような独特の目線で描いた。

 みたいな感じ。

 実際に読んでみると概ねその通りではあった。

 文庫版で読んだが、見開きの右ページが小説の本文、そして左ページが注釈に割かれている。こんな構成の本は今まで読んだ記憶がない。


 大学生でファッションモデルの由利が、満たされているがどこかアンニュイな生活、彼女いわく「なんとなく気分の良い、クリスタルな生き方」を送る。

 ストーリーに目を見張る部分があるような小説ではないと感じた。少なくとも、誰かが本作の物語内容に踏み込んで語った文章などは、自分は読んだことがない。

 かといって、いわゆる純文学の文学賞を受賞する小説に多くあるような、技巧的な文章で書かれているというわけでもない。

 しかし小説としての企みはこの上なく成功している。

 その企みとは、当時の風俗をクリティカルな目線で描くこと、そして現実の生活から乖離していた文学を日常に引き戻すこと、だろう。

 1980年代の日本の文学会における、文学らしい文学、「人とは」「社会とは」みたいなことを大真面目に語っていた文学、そういうものが日常の生活からどんどん乖離していく中で、眼の前にある日常や生活をまっすぐに見つめた小説を書こう、と著者は考えた。その試みは間違いなく正しく機能している。

 そこに本質も目的もなく、ただただ欧米文化を取り入れることに時間を空費しているように見える登場人物たち。

 注釈の内容の半数ほどが、ただのカタカナ語の綴りだったり、著者のブランドや人物に対する感想だったりするのも、企まれた「薄さ」を加速させている。


 しかし起伏のない物語の中で、些細な不安がわずかに顔を出す。

 その不安とは「こんな生活がいつまで続くのだろうか」という種類のものだ。

 たとえば登場人物たちの家族についての描写が入る場面では、伝統性や土着性みたいなものがわずかに顔を見せる。どんなに自由な生活に見えても「そこ」から自由にはなれない、ということを示すように

 そしてその不安は小説の末尾でピークに達する。

 小説の末尾には、唐突に”人口問題審議会「出生力動向に関する特別委員会報告」”と”「五十四年度厚生行政年次報告書(五十五年版厚生白書)”という2つのデータが提示される。

 きらびやかな生活の裏で少子高齢化が進行しているという指摘だ。そこには単なる皮肉や、エスプリという以上の、著者なりの問題意識が垣間見える。

 だからこそ、だろうか、読後感にはなにか寂しいものが残る。

 青春の寂しさ。

 こういう時代は喪われてしまった、という寂しさ。

 いや、今もこういう生活をしている人はいないことはないのかもしれないが、日本全体の豊かさが違えばその意味合いも変わってくるのではないか。


 しかしそれはそれとして、シンプルに著者の性格がよろしくないというか、「こういうことを言ったらエラい人が怒るだろう」というポイントを的確に突くのが得意なんだろうな、というのが伝わってくる。

 実在のミュージシャンやファッションブランドを名指しで揶揄しているが、もし本作が芥川賞でも取っていたら結構な問題になったのではないだろうか。

 そういう人が政治家として現在は活動しているのはちょっと面白い現象だ。

 ついでに言うと妙なカタカナ語の使い方も気にはなる。「アーベイン」とか「ラブ・アフェアー」とか。

 自分は当時の風俗にまるで詳しくないので完全な予測だが、著者の文化的な感度は相当に高いのではないかという感触がある。端的に言って「センス」がよく、そこが当時の「文化的」な人にはウケたのかもしれない。

 時代の空気感を表すためにあえて大量の固有名詞(ブランド名、地名)を出しているわけだが、現実にこれだけの固有名詞を駆使できる人物がいたとしたら、一角の人物になっていてもおかしくない。女性向け雑誌の編集長とかが適任だろう。

 主人公やそのパートナーが平然と他の異性と関係を持っているという部分が、発表当時はどのように受け取られたのかちょっと気になるポイント。当時の大人たちは眉をひそめたのだろうか? 現代の視点だとこれくらいの描写はなんでもないように思えてしまうが、当時は批判があったのだろうか。

 ただ現代も、不倫に対する風当たりは、相変わらずというか、むしろSNS等の影響で強まっているような印象もある。

 男女観やセックス観が微妙に通俗的なポルノじみているのは、時代的なものがあるにせよ、もうちょっとなんとかならなかったのかという印象はある。同時代の小説でももうちょっとマシだったのではないか。


 本作には『33年後のなんとなく、クリスタル』という続編がある。本作の33年後を描いた小説であり、本当にリアルタイムで33年後である2013年に書かれている。次はそちらを読みたいと思う。