rhの読書録

読んだ本の感想など

書き出し「世界文学全集」 / 柴田元幸

 小説の書き出しを読むのが苦手だ。

 何の予備知識もないまっさらな状態で、文章を読み始めなければならない。与えられる情報はせいぜい表紙と著者名のみ。そこからその文章が何を伝えようとしているのかを汲み取らなければいけない。

 映画における冒頭の10分はそこに描かれる世界を端的に理解するための重要なシーンだが、小説の場合はそれを自分の脳内で組み立てなければならない。

 おそらく小説が好きな人は、その組立作業こそを楽しんでやっているのだろう。次はどんな物語を始まるのだろう、と胸を高鳴らせながらページを繰る。

 しかし、小説という形式を特段愛している訳では無いが、できれば面白い小説は読みたいな、などと祈念している怠惰な自分にとっては、小説の冒頭を読む行為は、結構しんどいものである。



 そんな自分の性向をすっかり忘れて、軽い気持ちで「書き出しだけなら気楽に読めるかな、あの柴田元幸の翻訳だし」などと思って本書を手に取ってしまったが、読み通すのにかなり苦労し、自分の性向を改めて噛みしめるハメになった。

 続けて読もうとしても、場面転換に脳がついていかない。なにしろ古典英米文学なんて『グレート・ギャツビー』より昔のものは読んだことがないし、地名も頭に入っていない。

 作者ごとに文体も変わるので、毎回自分をチューニングし直さなければいけない。文体の違いを翻訳で表現している訳者のスゴさを感じつつ。

 でも苦労して読んだだけあって感じ入ることが多々あった。



 それぞれの作品の作者たちは、それぞれの視点で、見える範囲のものを作品化していった。

 それをこうして冒頭だけ並べたものを連続して読むと「実に世界は多様だな」ということまざまざと感じさせられる。

 もちろんそれぞれの作者たちは多様性なんてことは特に考えなかっただろう。そもそも「多様性は大事」なんて価値観がほとんど無かった。あのオスカー・ワイルドも別に多様性を守るために文章を書いたわけでは無かった。

 そもそも多様性という一つの価値観を崇め奉るのは、本当に多様性の理念に適っているのか? という自己矛盾も感じる。

 しかしそんな価値観の問題とは無関係に、いろんな人が、一生懸命生きて、一生懸命書いたんだな、ということが、一冊の本から伝わってくる。だいぶ頭の悪そうなことを言っている気がするが、率直な感想なのだから仕方ない。

 単なる短編アンソロジーではなく、ある意味作者が一番気合を入れる冒頭を集めた「冒頭集」だからこその迫力が生まれているのは間違いない。

 特にアメリカ文学からは若い国ならではの変化の速さを見つめる視点が感じられる。『無垢の時代』の「ニューヨーク音楽院は移民の子孫が主な観客だったが、メトロポリタン・オペラハウスにはロックフェラーなどの有名な富豪が集まった」という注釈が何故か心に残っている。

 自分が本書の中で一番「笑えた」のは『ジェーン・エア 第二版序文 』。自分の本を批判した人々に対してブチギレまくっている。ブチギレすぎて逆に自分にものすごく自信がある人みたいになっていて、さすがに自分を「事実を吟味し暴く者、金箔を削りとってその下の卑金属をさらす者」とするのは、現代の価値観からすると自信ありすぎじゃない? と思うが、それだけ強くなければ生きられない時代だったのかもしれない。

 一番の「発見」が『草の葉 / ウォルト・ホイットマン』。全く名前を知らなかったが「自由詩の父」と呼ばれるほどの詩人らしい。すごく良かったので次に読んでみたい。

 なおWikipediaでざっと調べたところ、本書収録作品の内、書き出しだけでなく柴田氏が全文翻訳したものとして『ロード・ジム』、『ハックルベリー・フィンの冒けん』、『ガリバー旅行記』が本書の前後に出版されている。

 もちろん本書は当代随一の翻訳家によるキュレーションとしても「使える」本なわけだが、その前にまず本から伝わるこの迫力を味わってみて欲しい、ということをお伝えしたい。