とあるごく些末なエピソードを、手を変え品を変え、多種多様な99パターンの文体で書いた本。そういう本がある、ということは昔から知っていたが、手に取るのは初めて。
はっきりいって最初は読みにくかった。
章が変わるたびに、その文体によって何を試みようとしているのかを、読み解きなおさなければならない。
わかりやすいものもあれば、飲み込みづらいものもある。
しかも本書はフランス語からの翻訳。言語の違いによって大幅に意訳されているものもあり、オリジナルの文章の意図を推測せねばならない。
もはやちょっとしたミステリ小説。
そのあたりのことは、巻末の訳者による解説で全て詳らかにされている。さながら謎解きパートといったところ。
最初から解説してくれればもっとスムーズに読めたのに、と思うが、解説がないからこそ自力で読む苦労を味わえたとも言える。
そして読書体験として純粋に面白かったかと言うと、そこも難しい点であり、ユーモアって国によって結構違うよね、なんてことを読みながら思い続けることになった。
全体的にインテリぶっている感じがするのもいかにもフランス文学な印象。
日本語話者が日本語で書いた「文体練習」を読んでみたい。し、おそらく探せばどこかにあるんだろう。
とはいえ、以上のことはあくまで読者としての素朴な感想であって、本書の歴史的意義だとか、文学的な試みだとかはとは別次元の話である。
まず同じエピソードを99パターンの文体で書くこと自体、なかなかできることではない。
こういうことをやろうとすると、高名な作家のパスティーシュなどに手を出したくなりそうなものだが、そういった同時代的なやり方は極力排除されており、古典や詞(短歌を含む)を扱った時代を問わないもの、あるいは言葉遊び的な言語操作がテーマのものがほとんど。
そういった「内輪ネタ」に陥っていないことが、本書が歴史を超えて読みつがれている要因なのだろう。