マンガ『ベルセルク』が無料公開されていたので再読。途中からは手持ちの本や電子書籍で。
昔読んだ時は、ガッツのヒーロー的な活躍にばかり目を奪われていたが、今読むと、人間関係を中心とした物語の方に注目が行く。
ガッツとグリフィス、そしてキャスカの関係性は少女漫画的ですらある。
過酷な運命に翻弄され続けながら、踠き戦い続けるガッツの姿が心に迫ってくる。
読むほどに、読んだ人の人生に反射してくる。それだけの深みを持った作品であることを再認識させられる。
昨今の世界情勢からすると、様々な戦争にまつわる描写も人ごとには感じられなくなっている。
それにしても絵の迫力が凄まじい。
ストーリーの山場には、画面の隅々にまで描きこまれた圧倒的なシーンが何度もあるわけだが、むしろそうでない場面でも同じくらいの描き込み量が続いていることに驚嘆を覚える。どうしてモブの貴族のオッサンまでそんなに丁寧に描けるのか、と。
しかしそれもマンガとしてのトーンを保ち没入感を生むためには必要だったのだろう。
それだけの描き込みをしたからこその名作。しかしそれだけの描き込みをしたために結末まで描き切れなかったのかもしれないと思うと複雑だ。現在は親友で漫画家の森恒二氏と、元々のアシスタント陣が引き継いでいる。
以下、雑多な気づいたこと。
ファルネーゼがこんなに性癖が歪んだキャラだということを忘れていた。最近の話では「キャスカの世話をしながら魔術を学んでいる人」というイメージが強かったので。このあたりの心の闇が改めて描かれる予定はあったのだろうか。
前半でガッツが戦う使徒は、触で鷹の団のメンバーを殺した使徒である、ということに気づく。文章で説明しないが、きちんと復讐を果たしていたんだな、と。
ファルネーゼがいた聖鉄鎖騎士団の副長のアザンが再登場していることも一気読みしたおかげで気づけた。
モズグス様はてっきり最初から人間じゃなかったのかと思っていたけど、出てきた時は本当にただの人間だった。それであの顔って、一体何なんだ。顔を打ち付けても輪郭は四角くならないだろう。
序盤にやたらと変な名前の騎士団が出てくるのが面白い。紫犀騎士団。青鯨騎士団。実際の歴史でも色プラス名前の騎士団があったのだろうか。
後年の作品への影響が語られることが多いベルセルク。
最近『ダークソウル3』をプレイしたが、ゲーム製作者が公言している通り、ベルセルクへのオマージュがそこはかとなく感じられた。
単にダークファンタジーであるという共通点だけでなく、人間が異形に変わる様や、現実と非現実が交錯する世界観などに強い影響が見られる。
使徒を倒すたびに、転生に至る過去が描かれる様は『鬼滅の刃』にも影響しているのかもしれない。あるいは間接的な形で。
最終回予想。
グリフィスが旧鷹の団を贄に捧げた行いは紛れもない悪行である。
しかしファルコニアで行われていることまでが全て悪であるようには思えない。間違いなく人を救っている。今後のさらなる悪行への前フリという可能性もあるが。
なので、グリフィスとガッツが、人と使徒を従えてゴッドハンドと戦い、人の世を「神」が操る運命から解放するのではないか。それは「上昇し続ける」というグリフィスの望みとも合致している。
そして運命から解き放たれたグリフィスとガッツが最後の決着をつける、という展開へ。
そもそもなぜグリフィスは、満月の夜ごとに子供になってキャスカの元に訪れていたのか?
もしかするとグリフィスにも人間らしい心が少しは残っているのではないか。あるいはゴッドハンドになったときに「フェムト」と「グリフィス」という2つの人格に別れた、という展開もありうる。
実は触でのグリフィスの「…げる」というセリフは実は「捧げる」では無かった、という可能性もちょっと考えたが、さすがにそれは無いだろうか。
そんな野次馬的楽しみはそこそこにしつつ、無事完結することを祈りたい。