「サイバーパンク」というSFジャンルの最初期の名作。映画『マトリックス』(観た)やアニメ『攻殻機動隊』(未見)、最近ではゲーム『サイバーパンク2077』(プレイ動画をちょっと見た)などにも、直接的、あるいは間接的に多大な影響を与えている。
という事前情報だけを頼りに読み始めたのだけれど、ものすごーく苦労した。
なぜかって、とにかく読みづらい。びっくりするほど読みにくい。ここまで小説を読むのに苦労したのはいつぶりだろうか。
読みづらいことの最大の要因は、とにかく独自用語がいっぱい出てくること。
例えば本書冒頭で<<スプロール>>という単語が出てくるが、この単語の意味が解説されるのは第二章に入ってから。そこまでは「どうやら土地の名前らしいな……?」などと推測しながら読み進めなければならない。
ちゃんと用語の意味が解説されているのはまだマシなケースで、なんの説明もなく「七機能(ファンクション)の強制フィードバック人工操作手(マニピュレータ)」みたいな単語が登場し、その後も特に詳しい説明はなされなかったりする。そこはもう、なんとなく文字面から雰囲気をつかみ取って読み進めるしかない。「いったい何が強制フィードバックされているんだろう」などといちいち疑問を差し挟んでいたら先に進めないのである。
そんな独自用語が、1ページに5個も10個も20個も出てくる。試しに自分が読んだ版のハヤカワ文庫14~15ページの見開きに出てくる独自用語(およびそれに近いもの)を抜き出してみよう。
- 神経接合
- 電脳空間(サイバースペース)
- ”夜の街(ナイトシティ)”
- マトリックス
- 論理(ロジック)の格子(ラティス)
- <<スプロール>>
- 操作卓(コンソール)マン
- 電脳空間(サイバースペース)カウボーイ
- 活線(ライヴワイア)ヴードゥー
- 棺桶(コフィン)ホテル
- 恒温フォーム
どうだろうか。このページだけ特に用語が多いわけじゃなく、最初から最後までだいたいこの調子。ここに挙げた単語は、まだ読み進めればなんとなく内容がつかめるものが多いが、「活線(ライヴワイア)ヴードゥー」に関しては読了した今になってもさっぱり意味がわからない。わざわざ「ヴ」を使っているところまで小憎たらしくなってくる。まったくもう。
しかし少しでもサイバーパンク作品に触れてきた人なら、これらの単語をながめただけでも、いかに本作が後続の作品に影響を与えたかを知ることができるだろう。
タイトルの「ニューロマンサー」も、神経を意味する「neuro」と、「使う者」を意味する接尾辞「mancer」を組み合わせた造語らしい。カタカナだけだと「ニュー・ロマンサー」と読みがち。あるいはダブルミーニングかもしれないけれど。
読みづらい原因は独自用語の多用だけではない、と感じる。
全体的に文体が断片的かつ婉曲的で、それはハードボイルドやノワールと呼ばれるジャンルの技法をSFに持ち込んだものと思われ、それが荒んだ世界観や主人公の心情には実にマッチしていてカッコいいのだけれど、独自用語の乱打と組み合わさることで、単純に「そこで何が起こっているのかがわかりにくい」という問題が生じているように思えてならない。
序盤である人物が殺されるシーンがあるのだけれど、誰がどこで何をしてどうなったのか、という映像的な情景が、何度読み返しても頭に浮かばない。また途中でリヴィエラという人物が主人公一行に加わる箇所では、なぜ一行に加わったのかも、そもそもコイツの目的がなんだったのかも、読んでいて腑に落ちるところがほとんど無かった。自分の読解力不足の可能性も大いにあるけれども。
翻訳が古いので仕方ないのだけれど、登場人物の口調が「昭和の若者」っぽいのも違和感が大きかった。昔家族が再放送をテレビで観ていた『太陽にほえろ』みたいで。
結局、通読するのに1ヶ月ほどかかってしまった。1日15分くらいしか読めない日もあったにせよ。
それだけの苦しみを味わったにも関わらず、読み終わった後の感覚はそれほど悪くなかったりする。むしろ妙な達成感がある。難しいゲームをクリアした後のような。
本筋のストーリー自体は結構わかりやすかったのが読んでいて助かったポイント。「冬寂(ウィンターミュート)」というAIがある目的を達成するため、主人公のケイスたちに諜報活動をさせている、という本筋さえつかめていれば、なんとか振り落とされずについていけるハズ。
自分のように「サイバーパンクを有名にした作品だから」という程度の動機でいきなり本作にチャレンジするのは、正直言ってあんまりオススメしたくはない。なんでもかんでも古典に当たることが正解とは限らない。例えば、
- 「プロレスを見たい」という人に力道山の試合を見せる
- 「映画を見たい」という人に『七人の侍』を見せる
- 「ロックを聴きたい」という人にエルビス・プレスリーを聴かせる
- 「RPGをプレイしたい」という人に『ウィザードリィ』をプレイさせる
- 「日本文学を読みたい」という人に源氏物語を読ませる
みたいな行為が必ずしもジャンルへの導入として適切でないことは、その筋に少しでも明るい人ならわかるだろう。普通に新しいやつをチェックしたほうがいい。ガンダムに入るなら、今ならきっと『ジークアクス』(未視聴)からがいい。単にサイバーパンクを知りたいなら、視覚的にわかりやすい最新の映像作品の方が良いだろう。
偉大な名作によくあることとして、あらゆる作品にオマージュされ尽くした結果、遡って原点にあたると逆に陳腐に見えてしまうという現象が起こり得る。
世界設定や描写の「密度感」に関してはほとんど唯一無二と言っていい本作だけれど、ストーリー展開などにはどうしても既視感を感じてしまった。昔を知ってる人からすれば「こっちがオリジナルだぞ」って話なんだろうけども。
とにかく独自の世界設定をバンバン押し出してきて、情報の洪水に溺れる、みたいな読書体験をしたいのであれば、本作は強くオススメできる。脳内に新しい語彙をゴリゴリと詰め込まれるような、日常生活では味わえないような体験を味わえる。自分は『デスストランディング』の一作目をプレイした時の感覚を想起した。
SFが描いてきたもの。『鉄腕アトム』的なピカピカの未来。『1984』のディストピア。『スターウォーズ』のような宇宙戦争。そこに「犯罪やドラッグが蔓延する猥雑な未来像」を新たに提示したことに、この小説の画期性があったんじゃないか、と想像する。
その象徴が冒頭の舞台である「千葉市(チバ・シティ)」だ。「ヤクザ」の権力の下、三菱のマークのタトゥーを掘った「さらりまん(おそらくサラリーマンのこと)」が往来する犯罪都市。西洋人が描く日本描写におなじみで少なからず中国要素が混じっていることとか、意外と主人公が千葉にいる時間が短いこととか、そのわりにこの小説について語る時は千葉のことばかりが語られがちだな、とか色々思うことがある。
でも事実として、チバ・シティのまわりの描写は異常に強度が高い。Wikipedia情報によると、ちょうど本作を執筆している途中に映画『ブレードランナー』が公開され、それを観た作者は衝撃を受け、冒頭部分を何度も書き直したとのこと。だからこそこれだけのクオリティに仕上がったのだろう。
実在の日本の家電メーカー名が頻繁に登場し、「昔の日本ブランドはすごかったんだなぁ」としみじみさせられたりもする。あとめっちゃ強いニンジャも出てくる。
サイバーパンクの軸が「サイバネティクス」による人体の拡張であることも本作を読めばよくわかる。それがヒッピー的な精神世界の思想と関連していることも。
脳と機械を直接的に接続して、人間の意識を仮想空間に移動させる、あるいは仮想空間が存在するかのように認識させる、という概念は、今でこそ様々なフィクション作品に登場しているが、その最初のヒット作となったのが本作らしい。
なぜコンピューターにハッキングするために脳と機械を接続しなきゃいけないんだろうか、モニターに映る映像を見るだけじゃだめなんだろうか、という、読みながら生じた疑問は最後まで解消されなかったけれど、それはいわゆるお約束というやつなのかもしれない。なんでもホビーで解決するホビー漫画みたいに。
現代にこの本を読むのであれば、AIにコントロールされる人間、という部分に注目したくなる。
でもこの作品に登場するAIは、昨今話題の生成AIとは(もちろん)違い、どちらかというと「人知を超えた神の如きもの」に近い。
そう考えると本作は神話やファンタジーに近い構造を持っていることになる。主人公のケイスはいわば神の遣いとして、汚れた街や淀んだ宇宙を駆け抜ける。この世ならぬ異界である電脳空間―テクノロジーと汚穢が交わるチバ・シティ、あるいは大地(こちらがわ)と海(むこうがわ)が接する砂浜―で、ケイスが己の過去と向き合うさまは、美しくて哀しい。
「誰も見たことがない世界」を高い強度で描いたことで、本作は発表直後に高い評価を得た。おそらくそれは間違いない。それが後続の作品によって「わりとみんなが見たことがある世界」になったとしても、こういう部分に本作の色褪せない魅力があると感じた。
ちなみに全然知らずに読み始めたんだけど、現在Netflixでドラマ版が制作中で、ちょうど先日、初のティザー映像が公開されたらしい。なんというタイミング。チェックせねば。チバ・シティのロケが実際の千葉市で行われないであろうことだけは間違いない。
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