思考だだ漏れ読書録

とあるブログ書きの読書記録。

批評にまつわるいろいろな話(僕が批評家になったわけ / 加藤典洋)

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

 タイトルはこうだけれども、筆者の考える、批評、ことば、批評にまつわるいろいろなことを、心に浮かぶまま、書いていく。(2ページ)

 と最初の方にあるとおり、この本は、批評についての、結構脈絡のない話が続く。だからだろうか、ちょっと読むのが大変だった。でも面白い。

 自分が批評というものを知るようになった経緯はというと、まず小説って面白いな、と思い、それから、そういった小説について書かれた批評というものが存在している、ということに気づいて、批評の本も読むようになった。

 だから、筆者が「もう二十年以上のあいだ、批評を書いてきているが、よく考えてみると、批評とは何か、と考えたことなど一度もない」と言うのと同じように、自分も批評とはなんなんか、ということについて改めて考えたことがなかった。もちろん、レベルは全然違うけど。

 文芸批評、というと、なんとなく、作品の尻馬に乗っている、みたいなイメージがある。村上春樹みたいに、批評家を毛嫌いしている作家もいる。

 なぜ批評が存在するのか?書きたい人がいるから?読みたい人がいるから?

 どっちでもいいじゃないか、面白ければ。という意見もあるだろう。まぁそうなのかもしれない。

 しかしそもそも、今の時代に文芸とか文芸批評とかに興味がある人ってどれくらいいるんだろうか、とも思う。

 本書の中で、インターネットというものが生み出した新しい書き手である内田樹について触れている。自分が内田樹を知ったのはネット経由ではないが、多くの人が彼のブログによって、初めて彼が書いたものに触れたのではないかと思う。

 同じような例を挙げるなら、小田嶋隆という書き手を自分が知ったのは、日経オンラインの連載を読んでからだ。

 話はちょっと変わるが、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』のAmazonレビューがネットでちょっとした話題になった。そのレビューを書いた人が、同じトーンで村上春樹作品を「いじる」という本を出している。

村上春樹いじり

村上春樹いじり

 内容の方はまぁどうでもいいんだけど、これはこれで、インターネット的なものが進出・浸出しつつあることの現れなのではないかと思う。

 また、最近本屋に行くと、アニメ絵が表紙のハードカバー本をよく見かける。調べてみたところ、どうやら『小説家になろう』という小説投稿サイトに投稿された作品を書籍化したものらしい。

 内容の方は、まぁやっぱりどうでもいいんだけど、こういう本が売れていることは間違いないらしい。多分、ライトノベル好きが流れ込んでいるんじゃあないかと想像、というか妄想する。

 そんな時代に、批評が必要なのか。僕は必要だと思う。新しい時代のための批評が。

 と、本の内容とあまり関係のない話をしてしまった。もっと関係ないけど、男色ディーノのゲイムヒヒョーって面白いよね。