柴田元幸翻訳の小説を読んでみよう、とだいぶ前に買っておいたこの本。しばらくぶりに手に取り読み進めたら、ハマった。
(文庫版の)30ページあたりから、主人公であり犬の「ミスター・ボーンズ」の飼い主である「ウィリー」のことが、すっかり好きになってしまい、そこから最後まで止まらなかった。
現代的な観点から言えば「わりとダメな人」に分類されるであろうウィリーであるが、戦災を逃れポーランドからアメリカに流れ着いたユダヤ人の元で、生まれも育ちもアメリカという生い立ちを持ち、生来の「凝り性」的人間性を持って詩と放浪に生きた男である。
読んでいるうちに気がつけばそんな彼を好きになっていた。文学的なマジックとでも呼ぶべき筆力によって。
かつては文学の話をするときに、人間を描けているとか描けていないとかいった議論があって、結局そういう議論はあんまり意味がないんじゃないかみたいな歴史的な流れになったわけだけれど、それはそれとして、この小説は圧倒的に「人間が描けている」。し、犬も描けている。
しかしこの小説は、そんな波乱万丈なウィリーの半生を、ミスター・ボーンズの視点から描くだけに留まらない。留まらずに、更にその先に行こうとする。上でも下でもなく。
それがこの物語を、単なる犬が主役の感動物語に留まらせないだけの幅と奥行きを生んでいる。それはそれとして、ラストが取ってつけたような印象がなくはなかったけど。
ティンブクトゥとは西暦1500年頃に栄えたアフリカのマリにある地域のことであり、英語で「世界の果て」を意味する単語、とのことである。
おそらく日本人にとっての「天竺(ガンダーラ)」みたいなイメージが、欧米人にとってはあるんだろうと想像している。時間のスケールは天竺のほうが古いけども。