評論家、小林秀雄によるエッセイ集。
本書との出会いは、確か高校生くらいの頃。家族の本棚に入っていたのを開いてみた記憶がある。
でも、紙面が真っ黒で(=漢字が多すぎて)全く読む気がしなかった。
それから幾星霜(やや大げさ)。今の自分ならこの本を読めるんじゃあないか、と思い、改めて手に取ってみた。
なんとか読み通すことはできた。知識が追いつかない部分は多々あったが、文章の意味そのものは大部分で追えたと思う。
読むたびに、猛烈な眠気に襲われて、読了までにずいぶん時間がかかった。なぜだろう。文章が難解だからだろうか?
ただ、本書の文章を「難解」というのは、ちょっと違和感がある。
文章が高度なのではなく、単純に読みづらいだけなのではないか。そんな疑念が、読んでいる間ずっと頭に浮かんでいた。
小林秀雄の文章は、ある時期まで、国語の入試問題によく採用されていたらしい。
それは「試験問題にふさわしい名文」だからではなく、「読みづらく解釈が必要な悪文」だからではないか。
と、誰かが言っていたのをなにかで読んだ記憶があった。
ネットで調べたらそれはおそらく丸谷才一だったのではないかと思われる。
www.nikkei.com
近年は出題が無かったが、2013年のセンター試験(現在の共通テスト)の国語の問題に、急に小林秀雄の文章が出題され、平均点が大幅に下がった、という出来事もあったらしい。
www.sankei.com
あるいは自分もこの出来事の際に、小林秀雄の文章に対する批判を目にしていたのかもしれない。
自分に文章の上手下手を論じる資格があるとはもちろん思っていない。
ただ自分にとって本書がめちゃくちゃ読みにくい本だったことだけは確信を持って言える。
前提をすっ飛ばしていきなり結論に至っている、と感じられる文章が見受けられる。
おそらく、書き手の中では脈絡が繋がっているのだろうが、読んでいる人にはそれがちゃんと伝わってこない。
比喩が多く、物や概念を擬人化したような言い回しが多用されるので、いちいち自分の頭の中で普通の言い回しに変換して読む必要がある。
それを読み手の教養不足だ、と言うのであれば、それはまぁその通りなのかもしれないが。
そんな本を「永遠に読みつがれるべき名著(文庫本裏表紙の文)」とすべきなのか。自分にはよくわからない。
「考えるヒント」という、いかにも若者向けの教養本みたいなタイトルであるが、この本がそのままの形で今の若者に届くとは考えにくい。
文章表現を抜きにしても、内容としては、安直な現代批判、科学技術批判が多いように感じられる。
頑張って読んでみても、その内容が「最近の若者は」とか「今どきの社会は」みたいな話だったりするので、脱力してしまう。それもまた読んでいて眠くなった原因かもしれない。
特に本の前半にそういった文章が固まっている印象。
最初の「常識」は、益体もない機械技術批判。
次の「プラトンと国家」は政治を論じているが、あまり具体性を感じられない。
「漫画」の「一般に笑いの技術というものを考えてみても、その一番純粋で、力強いものは、日本でも外国でも、もはや少数の漫画家の手にしかない、とさえ思われる。」という文章は、そこまで言い切っていいの? とだいぶ不安になる。
と、ここまでかなり悪し様に書いてしまったが、読み応えを感じたところも確実にあった。
ヒトラー、福沢諭吉、ドストエフスキーなどを論じた文章は強い印象が残った。
戦争や、日本と外国の文化のぶつかり合いや、革命といった問題が、眼前にリアルにあった時代の空気が感じられた。
もし自分が生きていたらどうすればいいだろう、というようなことを考えさせられる凄みがあった。
ただ、読みながら常に頭に浮かんでいたのは「これから先、世の中が小林秀雄的な方向に行くことはあるんだろうか。多分無いだろうな。」というような観念だった。
「小林秀雄的」とはどういう意味なのか、自分でもよくわからないのだけれども。